幕間1 それは幸せな一夜の舞踏会

2019年09月16日







―――――酒場がなにやら騒がしい。

小旅行、ではないが、仕事の依頼によって遠方まで赴いていた私が、数週間ぶりにエドルの地を踏んだのが、つい先ほどのことだった。


その足でまっすぐ、いつもの酒場へと向かう。

もはや、あの酒場が自分のホームとなっているが、さもありなん。

なにせ、酒場の裏手にある倉庫を自室として借りているため、そうなるのも当たり前というものだろう。


さて、移動が多かったせいで少し疲れた。

今夜は、エールを片手に料理に舌鼓を――――と、思い。


酒場の前まで来たのだが、どうも騒がしい。


騒がしい、というか。


賑やかな声に混ざって、珍しく、音楽など響いている。

これは、あの器用な死神がまた何か始めたかな?

...む?いや待て、ピアノ?


ピアノなんて、この酒場に置いていたか...?


ふむ。

気になる。


ドアを開けば、一層音が大きく耳へと飛び込んでくる。


「や、こんばんは」


挨拶をしながら身を滑り込ませる。


「ん、あでりーか。こんばんは」


初めに目が合ったのは、案の定、ピアノの前に座る黎だった。

目線をこちらにやりながらも、演奏の手は止まっていない。


相変わらず器用な男だ。

――――というか、である。


「...おい、どこから突っ込めばいいんだ、これは」


そう、何やらおかしなことに、酒場にピアノが置かれているのである。

私が留守にする前は、こんなもの無かったと思うのだが。


しかも、よりによってグランドピアノだ。つまり、結構な大きさである。

この細い路地のどこから搬入したんだ、それ。


いや、そもそも誰のだよ、それは。


他にも何点か気になることがある。


まず、何故かピアノが置かれている場所が一段高くなっている。


ステージか。ステージなのだな?


そして、天井付近にスポットライトを設置したのか、きちんとピアノを演奏している黎を照らし出していた。


疑問は尽きない。


何故ここまでやったのか。というか、ピアノの出所も気になれば、壁に吊るしてある楽器類も気になる。


リュート、ギター、ハープ、ウッドベース、チェロなどの弦楽器をはじめ、サックスやトランペット、ドラムセット、果ては木琴やトライアングルまで置いてあるようだった。


―――何が起きてこうなったのか。


「これは、また随分と本格的だな」


思わず呆然と呟くと、すすす、と静かに近づいてきた蜜柑に声を掛けられた。


「あでりーちゃん、こんばんは」


「ああ、蜜柑殿か。やあ、こんばんは。それで、この状況は何なのだ?」


私が訪ねると、蜜柑は悪戯っぽく笑って、私の耳に口を寄せて囁くようにして言った。


「実はねぇ......」













「なるほどなあ」


得心がいった。

うっかり仕入れに失敗し、在庫を抱えすぎて倒産しかかった楽器屋が、近隣にあったのだという。


それを聞きつけた緑のたぬき...もとい、店長代理殿が、じゃあうちで少し引き取ります!と言い出し、その結果、比較的安価に楽器を揃えることが出来たのだという。


相変わらず、ほんとうにお人好しなのだから。


「それで、懐事情は大丈夫なのか?」


「それは大丈夫みたいだよ?あでりーちゃんが毎月ぽんぽん大金を置いていくから、相当余裕があるみたいだし」


いや、少し多めを意識して渡しているところはあったが、そこまでの大金だっただろうか、と首をひねる。


「......ピアノって相当高くなかったか?」


そう、それにピアノというものはお高いのだ。

下手な家なら買えてしまう、という話も聞くことだし。


「それでも、だよ。あでりーちゃん、一体どれだけ家賃入れてるの?ティポちゃん、怖くてこれまでの総額を数えられないとか言っていたけど」


そんなに渡していたか?

倉庫を1件丸々借りて、かつ使い魔たちの食料やら、私の食事も含めると、あのぐらいが妥当だと思ったのだが。


…ふむ。そんなに多いか?


「ええと...こんなもんだな?」


ふと、そういえば今月分を渡そうと思っていたのだっけ、と思い、いつものポーチから革袋を取り出して、蜜柑に渡してみる。


受け取って、何かを確かめるように上げ下げして重さを確認しはじめる。

そして、中をそっと覗いた彼は珍しく驚愕したように顎を開いた。


「...ええ...こんな大金毎月渡してるの...」


「そんなに多くないだろう?」


「いやこれ...え?銅貨じゃなくて、金貨だよね?」


「うむ。倉庫の賃料と、毎日の私と使い魔たちの食費、あとは酒の分かな」


「......」


蜜柑は不意に黙り込むと、袋を縛って私に返してくる。

そして、真剣な様子で口を開いた。


「多すぎ」


「...そうか?」


「あでりーちゃん、あのね。そのくらいなら金貨1枚か2枚あれば足りるんだよ?」


「え、これっぽっちで?」


「本当に大きなお仕事ばっかりやってたんだね...。普通の家庭が生活していくのに、金貨10枚あったら1年暮らせるんだよ?」


「...ええ?」


「これ何枚入れてるのさ」


「100枚ぐらい。面倒だから同じサイズの袋に毎回詰めてるし、細かい数は数えてないかな?」


「この酒場、あでりーちゃんの1か月の払いだけで1年は余裕で運転できちゃうよね」


「まさかあ」


「いや、本当にさ...」


ははは、蜜柑殿は冗談がうまいなあ。


...金貨って、そんなに珍しい物でもないよな?

倉庫や隠れ家が金貨で埋まるぐらいは持っているのだけれど。


「いや、納得がいったよ。...いやあ、真似できないなぁ」


なにやら蜜柑が遠い目をしていた。










その後、帰ってきたことを店長代理殿に伝えると、酷く喜んでくれた。

何なのだろう。私はふらりと居なくなると、そのまま帰ってこないやつだと思われていたのだろうか。


それはさておき、今月の分と、楽器の分、と称して、二袋分の金を手渡す。

いつもながら、ぎょっとした顔をして、震える手で断ろうとするのはやめていただきたい。


「いや、私も使わせてもらうつもりだから」


実は、こう見えても楽器が多少出来るのだ。

そう言って押し切ることにした。


いつも通り、なんとか受け取ってもらう事に成功したが、相変わらずそっと袋を開いて、眩暈を起こしたようにへたり込むのはどうなのだろう。


―――私が何かひどいことをしているみたいじゃないか。





「おっ、あでりーはん、おかえり!...ティポちゃんが崩れ落ちとるっちゅーことは、また金貨の暴力かえ?」


ホールに戻ると、顔をほんのり赤く染めた雪華が、ジョッキを掲げて挨拶しながら聞いてきた。


「暴力とは失敬な。正当な対価だと思っているのだぞ?」


「かっかっか!正当な対価...っちゅーことは、この酒場は値千金、ということかえ!」


呵々、と笑う雪華。


「そう言われるとそうなんだろうな。金を払うことに、全く惜しいとは感じない」


「かー!ほんまにあでりーはんはお人好しやなあ」


やれやれ、と溜息を吐かれてしまう。

いや、それは貴殿らだろうに。


「それはそうと、あでりーはんは楽器とかできるのかえ?」


ふと、雪華が思い出したように問う。


「あまり種類は多くはないが、手習い程度ならな」


そう答えれば、雪華はにまぁ、と笑みを浮かべる。


「あでりーはんの『手習い』は信用ならへんからなあ!」


「料理も『手習い』と言っていましたね、そういえば」


横から声がかかり、目をやれば、少し楽しそうにこちらを見ていたアルバと目が合った。

にこにこと微笑む瞳に、多少の期待の色を見て取ってしまい。

思わず一歩たじろぎそうになる。


「いやはや、ハードルを上げてしまったかな...」


「にゃははははは!あでりーはんのやることは全部プロ級やさかい、期待してまうのはしょーがないこっちゃで!」


ばしばし、と雪華が上機嫌で背を叩いてくる。

ごふっ。思わず咽てしまう。

その怪力で叩くのは勘弁してくれ。


ふと、黎が演奏の手を止めて、こちらを見ていることに気が付いた。


「黎殿?」


「いやな、あでりーと共演というのは、中々楽しそうだと思って」


にやり、と口の端を歪めて笑う黎。


くそ、こいつもか。









「それで、あでりーは何を演るんだ?」


黎に連れられて、楽器が展示されているステージの上に上がる。


「ふむ...そうだなあ」


相方となるのは、ピアノか。

...であれば、これかな。


「ヴァイオリンか。また難しそうなのを...」


俺も少しやってみたが、まともに音が出せなかったぞ、と彼は言う。

確かに、多少コツを掴まないと難しいところだろう。

時折、酷い金切り声のような音を出している家庭があったりするのを聞いていると、なかなか敷居が高いのかもしれないと思う。


まぁ、とはいっても。

何度か触れているし、そう難しい話じゃない。

「ほれほれ!あでりーはんと黎くんが演奏を始めるんやから、皆静かにしぃ!」


ぱんぱん、と手を叩いて雪華が皆に呼びかける。


よく訓練された酒場の面々は、雪華お姉さんに逆らうような真似はしない。

だって怖いもの。


さて。

久しぶりにやろうか。




黎に目で合図を送り―――――弓を引いた。















何曲か演ったころ、おもむろに立ち上がる影があった。

酒場の盛り上げ隊長こと、ロンだ。


なにやら目を爛々と輝かせた彼は、いそいそと服装を整えている。


どうしたのだろうか、と思ったその時。


彼は大きく息を吸い込むと、一喝した。

「皆!!!!踊るぞ!!!!」



酔ってるのか?酔ってるな?



しかし、そこは闇雲なノリの良さに無駄な定評がある酒場の面々。


次々に「よっしゃ!」だの「お腹いっぱいになったので踊っちゃいます!」だのと口々に囃し立てながら立ち上がると、あっという間にテーブルと椅子を酒場の隅へと寄せ始める。


「......え?突発的舞踏会なのか?」


黎が呆然と呟く。

はは、と私は苦笑してしまう。


「こうなったらもう止まらんぞ、こいつらは」


「だよなあ......」











―――そして、突発的なダンスパーティが始まった。


演奏は私と、黎の二人。

ピアノとヴァイオリンが奏でるは『花のワルツ』


弾むような、跳ねるような。

可愛らしくも雄大な旋律に、皆が手を取り合って踊り始める。


時に激しく、時に優しく。時に静かに。


音楽は続く。








しかし、こうして演奏者側から舞踏会を眺めているというのも面白いものだと思う。


個人的に最もダンスが似合う、と思っているエイミーナは、器用に踊りなれない面々をリードして踊っている。


蜜柑は蜜柑で、これまた恐ろしいことに手慣れた様子で女性陣を誘い、きちんとリードをしていた。

ぱっと見で女の子を見紛うベビーフェイスで、しかしそのリードは立派な男性のそれだ。


恐ろしい。


発案者のロンは...と、視線を巡らせると。

これまた意外なことに、きちんと踊れていた。


傭兵という、どちらかといえば「荒々しさ」の面が普段は前に出ているように感じる彼だが、踊れる面々の動きを見てあっという間に習得したらしい。


こうした器用さは、流石。戦いを生業とする人間だけのことはある。

身体を動かすのが根本的に上手いのだろう。




さて、そんな中にあって、何やら妙なペアがいる。


緑のたぬきと、白い悪魔のコンビだった。


何故だろう。緑のたぬきが異様にトリッキーな動きをして、貴族を翻弄している。

いいのか、それは。

激し目の社交ダンスやフラメンコでもちょっとお目にかからんような動きしてるぞ。


見事に白い悪魔が振り回されている。物理的にも、心情的にも。


しかも、よりによって男女の役割が逆転している。

いいのか、貴族。男らしく腰を支えられているが。


表情は、嬉しさと切なさと情けなさで綯い交ぜになった微妙なものだ。

色々な感情が混ざりに混ざり、おかしな化学変化を経た結果なのだろうか。

初めこそ百面相をしていたが、現在はほぼ虚無に近い。


あんな目をしたヴォルグを、初めて見たかもしれない。


あまりの動きの激しさに、周りが若干スペースを空けている辺りに妙な笑いが零れる。

げに恐ろしきは緑のたぬきである。




皆が笑顔で、――ごく一部、何故か痛そうな顔をしている者もいたが――踊る。

足でも踏まれたのだろう。痛そうな顔をするコハクと踊っているのがポノと言うあたり、あながち予想は外れていないように思う。


普段ならば少々尻込みするような連中も、酒の力を借りてなのか、堂々と、楽しそうに笑い合いながら踊っている。


作法はめちゃくちゃだ。

だが、ここは何も王城の舞踏会ではない。


エドルの酒場で開催された、ちいさなちいさな舞踏会。

それを言うのは無粋というものだろう。


今はただ、楽しく踊ることが出来ていれば、それが満点の解答なのだから。

若干一名、プライドを粉砕されたのか店の隅で三角座りをして落ち込んでいるが。

さて、そろそろうずうずしてきた者がいる。


先程からずっとピアノの前で、ひたすらピアノを弾き続けてきた死神殿だ。

混ざりたくて仕方がないのだろう。

ワルツが終わり、さて次へ、と楽譜を捲ろうとする彼に声を掛けてやる。


「黎殿。貴殿も参加してくるといい」


「え?いや...でもヴァイオリンだけになっちゃうだろ?」


折角の盛り上がりが...と、気にする黎。

妙な所で気を遣う男だ。

意外なところでこだわりを見せてくれたところ悪いが、そこは「どうにかする」のが私の信条である。


「安心して混ざってこい。あとで後悔するぞ?」


「...あでりーが言うなら、そうなんだろうな。分かった。任せていいか?」


「あぁ。そこを何とかするのが、占い師の腕の見せ所だ」


私は、慣れないウィンクなどしてみせた。

黎は、苦笑いすると、そそくさとステージを降りて行った。



さて、私もたまには。

物騒な用途以外で、魔術を使うとするか。


私が手ぶらでステージの中央へと進み出ると、ダンスがひと段落して思い思いに休憩を取っていた皆が囃し立てる。


「なんだなんだ?」

「あでりーさんが何かやるのか」

「え、師匠の『何か』ってマジ怖いんすけど」

「おなかすいた!」

「まだ食うのか…?」

「ひゅー!ええであでりーはん!やれやれー!」


好き勝手に騒ぎ立てる。

まぁ、こんな日も良いだろう。


私は、ステージの中央で、大きく手を広げ、芝居がかった動作で挨拶する。


今宵は楽しんでいただけているでしょうか?と。


当然のように歓声が上がる。

おいまて黎、何故お前まで一緒にはしゃいでいるのだ。


まあいい。


「さて、では皆様。それではしばし、お付き合いください」


へたくそなウィンクを一つ。

ルシファーの真似をしてやってみたが、様になっているだろうか。


さて、では始めよう。


たまには、素敵な夢を。







星の経路に道を通す。

膨大な魔力を使って、霊脈の中にパスを通していく。


爆発的に魔力が高まったせいか、皆がちょっと青くなって顔を引きつらせる。

...おいおい。


これは転移魔術の応用だ。

ある種の召喚魔術と呼んでも良い。


今回、声を掛けるのは――――

『来てくれ、エウテルペー、メルポメネー、エラトー。そして彼女たちに連なる者たちよ』


パスを通して呼びかける。


『あら、あの子に呼ばれているわ』

『懐かしい声。久しぶりに会いに行こうかしら』

『行っちゃおうよ!』


パスを通して、彼女たちの声が聞こえてくる。

よし。乗ってきてくれたな。


「さあ、顕現せよ。音楽を司る精霊たちよ」


ぱん、と柏手を打つと同時。


ぱあ、と光が弾ける。


観客たちから悲鳴が上がる。

ぼんやりと光る、精霊たちが一斉に顕現した。


「よし、成功だな。よく来てくれた。舞踏会だ。皆、頼んだぞ」


はーい、と口々に精霊たちが答える。


彼らは、ふわふわと楽器の積んである方へ移動すると、思い思いの楽器を手に取っていく。


いやはや、思ったよりも数が多い。これはほぼフルオーケストラになるのではなかろうか。

思わず苦笑してしまう。

音楽の精霊はまったく、ノリが良くて助かるな。


「それでは始めよう。王宮の音楽会にも劣らない、素晴らしい舞踏会を!」


指揮棒を手に、観客たちを背にした私は、両手を大きく広げる。


ひときわ大きな、歓声が上がった。


星の観測者 あでりー
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