幕間2 たとえ世界が許さずとも
ーーーからん
グラスに満たされた琥珀色の液体の中で、するりするりと氷が踊り、澄んだ音を立てる。
美しくカットされた硝子が、月明かりを受けてきらきらと輝いていた。
それはまるで星々のように。
手の届かない筈の星々が、今だけはこの手の中にあるのかもしれない。
そう考えると、少しだけ。
少しだけ愉快な気分になる。
今宵のダンスパーティーは大盛況だった。
酒場の企画班である傭兵の御仁の尽力もあり、多くのメンバーが駆けつけた。
一癖も二癖もある我々が一堂に揃い、そして何かをする、というのは案外稀な事態なのだが。
そこをなんとかしてしまうあたり、豪快そうに見えて、あれで敏腕プロデューサーなのかもしれない。
彼の尽力もあり、また演奏班の良い仕事のおかげで大成功だったと言えるだろう。
私も演奏に加わらせてもらい、久しぶりに腕をふるうことができた。
皆が笑顔で。
背負った受圧や過酷を、あのひと時ばかりは隅へ追いやって。
ただただ、幸せなひと時を楽しんでいた。
その一方で...祭りの後とでも言えばいいのか。店内は惨憺たる有様だ。
まるで押し込み強盗にでもあったのか?と思うほどに散らかっているが、そこにあるのは破壊の跡などという無粋なものではなく、ただ皆が騒ぎ、飲み、踊った跡だ。
ちょこちょこ、うっかり割ってしまった皿やグラス、倒してしまった椅子などもあるが、それ以上に目立つのは...
「むむむ...も...食べられ...」
「ぐぬぬ......手強い......なにやつ...」
「...いや...いやよ...踊るおじさんなんていや...」
飲んだ挙句踊ったものだから、気持ちよく疲れた体にアルコールが過剰に睡眠導入効果を及ぼし、気持ちよくぶっ倒れている、酒場の面々だろう。
たぬき鍋がどうこう言っている奴もいる。実に混沌としている。
共通しているのは、なんとも間抜...もとい、幸せそうな寝顔だ。
幸いにして吐くほど泥酔したものはいないようだが、それでも踊り疲れて眠ってしまった彼らは、あるものは確かな足取りで帰って行き、あるものは机に突っ伏して寝息を立て始め、あるものは床に折り重なるように倒れて眠っている。
「すげー......おいしー......」
なぜか食べる夢を見ているものが何人かいるようだが…。
「やめ......俺は美味しくない......」
ポノがコハクの頭に延々とかじりついているのは、どうなのだろうか。
寝ているからか、かじる力が弱いようで傷は付いていないようだが、涎まみれになってうなされているぞ、その男。
まあ、こういう夜もまた、良い夜だろう。
起きているものが私しかいない酒場で、楽しかった宴会の跡を眺めながら酒を楽しむ。
これはこれで、贅沢な楽しみというやつなのだろう。
しばらくの間、そうしていただろうか。
窓から覗く月は、天頂から少し傾きだしていた。
ーーー良い夜だった。
本当に、そう思う。
時間も時間だ。今夜は星を見る予定もない。
そろそろ、ここを片付けて皆を起こすとするか。
暖かい時期とはいえ、毛布一枚掛けただけで床に転がっている連中は特に風邪でも引きかねない。
まったく、世話の焼ける...。
さて、と。
グラスを置き、椅子から立ち上がった瞬間、店のドアが開く音が聞こえた。
誰かが戻ってきたらしい。
「やはりここにいたか、あでりー嬢」
戻ってきたのは、本日中々見事なダンスを披露したものの、それを上回るアクロバットな店長代理に自信を粉砕されかけた、白い髪の美青年。
店内の明かりは消えており、月明かりだけが頼りだが、まあ、そのくらいは見える。
「ん、忘れ物でもしたか、ヴォルグ殿」
私がそう問いかけると、彼は一つ頷いて口を開いた。
「あぁ。ひとつ、忘れていたことがあってな」
なるほど。まぁ、これだけ騒いだのだ。
ヴォルグが帰った時は、随分と酔っていたようだし。
忘れ物の一つもあるか、と私も頷く。
「そうか。散らかっているから探すのは骨だろう。手伝おう」
「いや、もう見つけたのだ」
彼は、ゆるゆると首を振った。
「なんだ。随分と早いな」
「あぁ、あでりー嬢を探していたからな」
ヴォルグは、その赤い瞳で私を真正面から見つめてそう言った。
「...ん?私か?...もう夜も遅い。仕事なら明日にーーー」
渋る私に、つかつかと歩み寄ってくるヴォルグ。
なんだ、そんなに急ぎの案件か?
そう、思ったとき。
目の前に、すい、と手が差し伸べられた。
貴族の物らしい、すらりと長い指。
しかし、剣を振って硬くなった手のひら。
「おい、なんのーーー」
一瞬、意図が読めない。
これでは、そう...
これでは、まるでーーーー
「ーーーーレディ・アデリーナ。
俺と、一曲お相手頂けないか?」

「ーーーー、」
あまりの事態に、思わずぽかん、と口を開けてしまう。
「おい...そこは素直に微笑んで手を出すところではないか?」
茶化すようにヴォルグが言う。
―――あぁ、くそ!この男はそういう男だった!
「ーーーふっ、ははは、あはははは」
おもわず、おかしくなって笑い出してしまう。
だって、仕方がないだろう。
この私がダンスに誘われるだなんて、考えてもみなかったのだから。
思い出す。
いつか、私が過去を語った夜の事を。
―――彼に挑戦状を叩きつけられたことを。
『俺はな、科学で説明のつかないことなど、この世界にはあり得ないと思っている』
『ーーーいつか。いつか貴殿の『神秘』も、化学の手によって!『神秘』でなくなる日が、必ず来るのだ!』
『だから待っていろ。俺が、さもなくば俺の子孫が!かならず解き明かしてやる!』
―――――だから、きっと彼は。
なら、そうね。
ーーーーでは、一曲お相手お願いしようかしら、ロード・ヴォルフガング?
今だけは、幸せな夢を。

静かなワルツを、月だけが眺めていた。