1話 「未来への贈り物」
「―――それで、そのアルバムは誰が作ったのです?」
向かい合って腰を下ろし、程よく茶葉が蒸れた頃。
これまた懐かしい、当時愛用していたティーカップにお茶を注ぎながら彼女が訪ねた。
いや、このティーカップよく遺せたな。アルバムどころじゃないだろう、割れるし。
「神樹の加護で守り切りました」
......神樹の加護、凄いな。
どうせなら他にも頼んでおくんだった。
「...本当にこのくらいしか、時間の流れからは守れなかったのです」
―――そうか。いや、そうだろうな。
「それで?」
そうそう、その話だったな。
このアルバムを作ったのは、な――――――。
ぱら、ぱらり。
細い指でアルバムを捲っていく。
捲るたびに、当時の色とりどりの思い出が蘇っては消えていく。
そっと丁寧に。
指先で、ひとつひとつページを手繰り寄せていく。
壊してしまわないように、慎重に。
大切な思い出の数々を、慈しむ様に。
―――あぁ、居た居た。
「ねえ、あでりーちゃん!」
いつものように酒場でグラスを傾けつつ、思い思いに話をしている面々を眺めていた私のところに蜜柑殿がやってきたのは、さて、いつの事だったか。
「ん、どうした?」
ひとまずグラスを置き、居住まいを正す。
これは殆ど占い師としての条件反射のようなものだ。
ついつい、酒場などでこうして話しかけられると、仕事か否かを問わずに、話を聞く姿勢を取ってしまう。
いわば、職業病というやつだろう。
そんな私に、彼はにっこりと笑って。
「写真、撮ろうよ!」
などと、突然言い出した。
「......写真?」
私が微妙に怪訝な表情になっていた点については許してほしい。
「そう、写真!」
しかし、彼は持ち前の人懐っこい笑みを浮かべたまま、ひらりと隣の席に腰掛けた。
「また唐突だな。どうしてまた写真なんだ?」
「それはね......」
私の問いかけに、彼は俄かに真剣な表情になり、突然立ち上がって声を張り上げた。
「酒場の壁が、寂しいんだよ!!」
…。
「壁が」
「そう、壁が!」
「......普通、酒場の壁というとあれではないか?お品書きがぺたぺたと貼り付けてあるのではないか?」
「普通の酒場はそうなんだけどね。考えてもみてよ。ここ、お品書きって必要?」
「......あぁ、そういえばそれらしいものを見た記憶が無いな」
そういえばそうだ。
ティポ殿の卓越した料理の腕とレパートリーの広さ、それに酒もそうだが、とにかく「できる料理」の幅が広く、また質が高い。
こうした酒場にしては、異常と呼んで差し支えないほどの充実ぶりである。
「まあ、言えばなんでも作れてしまうしな、ティポ殿は」
思い返すにつけ、「それ出来ないんですよー」等と言われた記憶がない事に気づく。
いちご牛乳ですら樽でストックするような店だ。一体在庫管理がどうなっているのか気になって仕方がない。
私も厨房に立つことがあるが、材料を腐らせたり、廃棄している様子もない。
案外、私より未来が見えているのでは?とたまに思うほどだ。
「あでりーちゃんもでしょ?」
「ある程度作れるは作れるが、本職ではないからな?」
私がそう言うと、彼は「またまたー」と言って笑った。
「それでね、写真を撮って壁に貼っちゃおうかと思って。ティポちゃんが描いてくれた皆の絵を囲むように!」
「ほう?...案外面白いのではないか?」
「だよね?じゃあ早速撮っていこう!」
「ん?今からか?」
「善は急げ、っていうでしょ?」
彼は「ほら早く早く」と言って、私の手を取って歩き出した。
ひんやり、と冷たい彼の手。確か、獣人としての種族特性だ、との事だった。
夏場でも涼やかな彼の手は冷たいながらも、そっと私の手を握る、彼の手からは。
どこか、暖かい優しさのようなものを感じたのだった。
「おっ、おい、何故私を連れていく」
「だって、あでりーちゃんならシャッターチャンスがわかるじゃない!」
振り返って笑う彼の笑顔は、まるで大輪の向日葵のようだった。
彼のこういう笑顔に絆されて、何度騒動に巻き込まれたことか。
「そういうことか...。仕方ない。付き合うさ」
...しかし、この笑顔に弱いのも、また確かな事だった。
「随分壁の写真も増えてきたねー」
壁にちりばめられた写真を眺めて、うんうん、と発案者が頷いている。
相変わらず、長い前髪で目許は見えないものの、ふんすと満足げな吐息を漏らし、口角が上がっているあたり、ご満悦、と言ったところだろう。
「何でも屋」を自認しているだけのことはあり、相変わらず器用というのか。
初期に撮ったものと、最近のものでは構図の取り方からタイミングまで、随分とまぁ上達したものだ。
動く被写体を撮ろうとして、盛大にぶれてしまった写真もある。
被写体はフライパンで殴られる吸血鬼だ。絵面がとんでもないことになっていて、大変味わい深い。
それでも「酒場の一瞬を切り取ったものだから」と言ってきっちり貼り付けている辺り、彼の性格が垣間見える。
...この少女のような見た目をした青年は、意外とそういうところがある。
飄々としていて、まるで悪戯っ子のような言動を取るくせに、その実驚くほど思慮深い。
そして、酒場にいる者に共通していることだが、どいつもこいつも、人が良い。
そんな彼だ。こうして壁に貼り付けて居るのも、何か思うことがあるのだろう。
「......こうして見ると、本当に。まるで一瞬一瞬が昨日のことのように思い出されるな」
思わず、彼に並んで写真を眺める。
躍動感がある、というのとは少々違うが、酒場で起きた、印象深い思い出たちが並んでいた。活き活きと、今にも動き出しそうな、輝かしい思い出の数々。
「ねえ、あでりーちゃん」
ふと。
ぼんやりと懐かしんでいた私に、俄かに真剣な顔をした蜜柑殿が、いつも肩に掛けている鞄をごそごそやりながら声を掛けた。
「......ん?どうした?」
―――――――あのね、あでりーちゃん。
「......蜜柑さんらしいのです。懐かしいですねえ……」
――――蜜柑殿がな、私にこのアルバムを贈ってくれたのだ。
写真の中で笑っている蜜柑を指し示すと、彼女は目尻を下げて笑った。
「さすが蜜柑さんですね」
ふふ、ついぞあの方々にやたら気を回す性格は変わらなかったな。
同時に、女癖の悪さもいつまでも改善しなかったが。
「ふふふ、いつも女の子に追いかけられていましたね」
全くだ。全方位に優しいせいで、勘違いさせてしまうからな、彼は。
とはいえ、それも徐々に改善していったのだが。
「―――でも、蜜柑さんもこのアルバムがまさか、この星が終わるときまで残り続けるとは思っていなかったでしょうね」
―――いや、それがだな?

「最後まで生き残るのはきっと、あでりーちゃんでしょ?」
真剣な顔をして、彼は云った。
その表情に。その雰囲気に押されるように、私も表情を入れ替えた。
「...ま、恐らくはな」
そう、恐らくはそうなる。そうなってしまう。
それは仕方のない事だと割り切ってはいる。
―――ねえ、あでりーちゃん。いつか、記憶が薄れていってしまうのが怖いって、言ってたよね。
ああ。そうだな。
―――だから。だから、ね。
―――いつか。僕たちが思い出になった後でも、『あぁ、こんなことがあったなぁ』って、あでりーちゃんたちが笑って思い出せるようにしたいんだ。
「―――――っ、それは」
そう、それは、遺されるものを慮った、未来へ向けたプレゼント。
―――全く、占い師でもあるまいに。
こうなることを見越していた、ということだろうな。
「......ふふ、ほんとうに、良い方々でしたね」
全くだ。私も永く―――――永い間。
それこそ、一人一人を思い出せなくなるほどの永い間、人と関わり合って来たがな。
今でもまだ、彼らのことは鮮明に思い出せる。
「神樹、なんて変わり者を「そうなんだ」の一言で受け入れてしまう、とんでもない人達だったのです」
ははは、あまりにもさらりと溶け込んでいたくせに、よく言う。
私たちは、顔を見合わせて笑った。