6話 「夜と朝の物語」

2019年09月16日

 

 

 

 

 

 

かちゃり、と。

お気に入りのカップをソーサーに置いて、彼女が首を傾げた。


「そういえば、あでりーさんはよく釣りをしていませんでしたか?」


随分とまた懐かしい話題を持ち出すものだな。

確かに、酒場にいたころはやたらと釣りをしていたが...。


「猫さんたちにお魚をあげてまわってましたよね」


そういえばそんなこともあったな。あれが原因で随分と猫に懐かれたっけか。


「なるほど。いつも猫さんに囲まれていたのは、お魚のせいでしたか。私も釣りやればよかったなぁ」


猫、か。

そういえば、猫のお姫様の話は、まだしていなかったな。


ぱら、ぱらと。


またページを手繰っていく。


色々な人の笑顔や、騒動、事件。


蜜柑や私、コハクらが暇さえあれば撮っていた写真が、数多く収まっている。


あぁ、ここにいたか。


沢山の猫たちに囲まれた、彼女の姿があった。



















ふわふわと、のんびりと。

街を歩いていた。


アルコールの力で、少しだけ上気した頬が、夜風に撫でられ、気持ちが良い。


今夜は酒場から早々に人の姿が消え、可愛らしい店長代理殿とおしゃべりと洒落こんでもよかったのだが、客がほとんどいないのにあまり遅くまで拘束しても申し訳ないと思い、珍しく早めに切り上げて夜の散策をしていた。


外へと繰り出したのは良いが、これと言ってやることがない。

もう夜なので、当たり前の事ではあるのだが。


違う酒場に顔を出すことも考えたが、いやいや。やはりあの酒場でなくてはダメだよなあ、などと考えながら、てくてくと軽い足取りで歩いていく。


ふと、立ち止まって空を見上げる。

今夜の月はまるまると大きな満月。何故だか緑色の少女を思い出してしまうな。


町中にもかかわらず、星はしっかりと見えた。


ふむ。


星を見上げながら釣りでもするか。


暇となれば釣り。

何かおかしいような気もするが、まぁ、占い師などこんなものだ。


幸いにして、ポーチの中に釣り竿もバケツも入っている。


私は、港へ向けて方向転換し、ふらふら、てくてくと歩いていく。

にゃあん、と。

次々に猫達が集まってきた。


最近、外を出歩くとほぼ必ずと言っていいほど、猫達が集まってくる。


理由は簡単。

私が魚をよく与えているからだろう。


基本的に、釣果の大半は酒場へと卸されている。


しかし、未来視を悪用―――もとい、上手く使って釣るため、持ち帰る数が非常に多くなりがちだった。

余った魚を捨てるのも忍びないため、ここエドルの街猫たちに与えることが多い。


そのせいだろうか。

というか、間違いなくそのせいなのだろうが。


この街の猫達は、私を見かけると嬉しそうに集まってくるのである。


にゃあにゃあと、楽しそうに私の足元で戯れる猫達。

可愛らしい姿に、すこし頬が緩む。


案外、自分は動物好きだったのかもしれない。


使い魔として、黒猫のスピカ、天狼のアルタイル、梟のデネブを抱えているあたり、動物好きと思っても良いのではなかろうか。


どれも皆、やんちゃだったり引っ込み思案だったりと、それなりに個性はあるものの、皆良い仔たちであると思う。


......まぁ、多少の親バカが入っている気もするが。







さて。

沢山の猫を引き連れたまま歩いていると、すれ違うものが一瞬ぎょっとしたような表情をしたあと、私の顔を見て納得したように立ち去っていく。

どれだけこの町で猫を引き連れて歩いていたか、否応なしに分かろうというものである。


街行く人々に生暖かいものを見る目で見られつつも、岸までたどり着いた。


岸、とは言うものの、この町はほとんど水辺に面した町だ。


案外、どこからでも釣り糸を垂らすことはできるのだが、私は大抵決まったスポットで釣りをしている。

酒場に面した路地を出て、左手に折れ、少し進んだ先。


なんとなく、此処が一番いい気がするのだ。



鼻歌など歌いながら、釣り糸を投げ込む。


私の後をついてきた猫達は気持ちよさそうに転がっていたり、気が早い猫に至っては、「はやく、はやく」と催促するように私の身体をよじ登ろうとしている。


......重いんだが。


そうは思いつつも、無邪気な様子を見ていると追い散らす気にもなれない。


岸に腰掛け、足をぶらぶらさせながら釣り糸を垂らす。

猫よ、その位置は滑り落ちたらそのまま水の中へ落ちるぞ。


空いている左手で支えてやると、甘えた様に頭を擦り付けてくる。


ふむ。


これもまた、佳い夜というやつだろう。

暇つぶしにはもってこいだ。










「あら?占い師さん」


暫くの間、ぼんやりと釣り糸を垂らしていると、背後から声が掛かった。


「おや?」


振り返れば、エイミーナがそこにいた。


「やあ、アミ嬢。こんばんは。良い夜だな」


軽く手を挙げて挨拶をする。

彼女には視力が無いが、それでも耳と鼻がとてもいい。


そのため、これで十分伝わるのだという。


ころころ、と鈴を転がすような、可愛らしい声で笑うと、彼女は私の真似をするように手を軽く上げた。


「こんばんは」


ほら、伝わっているだろう?


エイミーナは、こちらに音もなく近づいてくると、そのまま私のとなりにすとんと腰を下ろした。

水際だというのに、迷いのない足取り。


どうしてもこの眼に頼ってしまう私からすると、驚愕の至りだ。


「今夜は釣りかしら?」


首をかしげながら、エイミーナは言う。


「うむ。星をみつつ、猫達にまとわりつかれつつ、いつも通りの釣りだな」


くすくす、と笑う彼女。


「本当に、占い師さんは釣りが好きなのね?」


ふむ。

確かに、言われてみれば釣りばかりしている気がする。

個人にしては卸す量が多すぎて、漁業組合からスカウトが来たこともあったが、さてはて。

占い師から漁師への転身と言うのは、どうなのだろうな?


「釣り自体が好き、というよりは......」


膝の上で丸くなっている三毛猫の顎を撫でてやる。


くるくる、と。

気持ちよさそうに喉を鳴らす三毛猫に、頬が緩む。


「恐らく、こいつらが好きなのかもしれんなぁ」


ざぱっ、と水の音を立てて吊り上げたのは、アオゾメカマス。


丁寧に針から外すと、そのまま膝の上の猫へと手渡すのだった。







のんびりとした時間が流れていく。


糸を垂らす私の隣に腰掛けたエイミーナをちらりと横目で眺める。

すぐ飽きていってしまうのだろうな、と思っていた彼女は、随分と長い事、私の隣で楽しそうにしていた。


「...ずっとそこにいて、飽きんか?」


思わず、苦笑しながら言えば、彼女は答える。


「いいえ、飽きないわ。この街の猫にとって、貴女の行動は関心の的なのよ?」


もちろん、あたしもね?


くすくすと笑う。

相変わらず目は開かないが、まるで私の表情を見て言っているかのような雰囲気があった。


貴女のおかげで、猫達は飢えを恐れることがなくなったわ。

と彼女は言う。


この間、もう死んでしまいそうだった捨てられた仔猫だって。

貴女がくれたミルクと、食べやすくしてくれた魚のお陰で、もう立派になったのよ?


すっかり年老いて、獲物が獲れなくなってしまった老猫だって。

貴女が魚を配ってくれるから、他の猫達は安心して食事を分け与えることができるのよ?


楽しそうに、嬉しそうに。

優し気な表情をした彼女は言う。


「ありがとう、占い師さん」


不意に、ぺこりと頭を下げられた。


驚いた。


「構わんさ。別に、義務感や正義感でやっているわけじゃない」

私はそう、ただ。


隣でゆらゆらと。

その可愛らしい尻尾を大きく、ゆっくりと振っている猫のお姫様。


私にスピカという、大切な家族をくれた彼女に。


少しだけ、恩返しがしたいだけなのだ。











「スピカちゃんは、元気?」


彼女が言う。


「元、弱り切った盲目の仔猫とは思えんほど元気になったぞ」


それこそ、今にも死んでしまいそうだったはずの彼女は、今ではすっかり元気―――

―――を、通り越して、最近は熊とも一対一で殴り勝つ程度には強くなっている。


流石に、朝目が覚めたときにスピカがいないと思い、部屋を出たらあの仔猫が熊を引きずって返ってきたところを目にしてしまったときは、完全に育て方を間違えてたと思った。


「あらあら。貴女の加護ってすごいのねぇ」


びっくり、と手を口元に当てて笑う彼女。


うっかり加護なんて与えたがために、とんでもない生き物を生み出してしまったように思える。


「ねえ、ずっと気になっていたのだけれど」


ふと、彼女が切り出した。


「占い師さん、不思議な人よね?」


そうかな。

神秘的、とはよく言われるものの。

不思議、という評価はあまり受けたことがない。


答えに窮していると、彼女は、すい、と手を伸ばし、まるで抱き着くようにして、私の胸元に顔を寄せた。


「...不思議な匂い。夜と朝の間にいるみたい」


私の胸元にすぽんと顔をうずめた彼女は、暫くそうしていたと思うと、不意に身体を離す。


するり、するりと、まるで意識の隙間をすり抜けるような、軽やかな動作。

何度見ても、これは真似できそうにない。


ふんふん、と何度か頷き、何かを確かめている彼女。

貴女は境界に立っているのかしら、と言う。


「そうなぁ...。折角だし、釣りをしているだけでは何だ。私の生い立ち話でもしようか」


「あらあら、興味はあるのだけれど。私が聞いて良い事かしら?」


「さして隠しているわけでもないさ。荒唐無稽なだけでな」


くすくすと笑う。

貴女にかかったら、どんなおかしな、夢のような話だって真実に聞こえてしまうわ?と。


私もつられて笑う。

そりゃあよかった。占い師の言葉に説得力があるってことは、仕事が繁盛するな?


そうだな。そういえば、彼女には語る機会がなかったかもしれない。


――――むかしむかし、あるところに――――












ゆっくりと。


この穏やかな時間を、少しでも彩るように。

昔話をしているうちに、空に浮かぶ月はすっかり、その位置を変えていた。


「ふぅん?それじゃあ、占い師さんは、今もその『外側』にいるのかしら」


ずっと黙って、しかし機嫌良さそうに話を聞いていたエイミーナが、口を開いた。


「そうだな。わかりづらいこと、この上ない話だが」


「―――だから、境界に立っていたのね」


納得したように頷くエイミーナ。

思わず、どきり、とした。


そういえば、こんな風にして境遇を的確に表現されたのは、それこそ、あの冥界の大悪魔ぐらいのものではないだろうか。


「星の最後を見届ける、ねぇ...」


「厄介な重荷を背負わされたものだよ、まったく」


「だけど、そうねぇ」


――――――――――そのおかげで、貴女と遭えたなら。


「貴女をその身体にした『かみさま』に感謝くらい、しておこうかしらね」


こくこく、と。

真面目な顔で頷いたエイミーナに、私は面食らってしまった。


「あらあら?何かおかしかったかしら?」


いや、驚いた。

この話をして、悲しみ、憤慨する者は居たが―――。


まさか、感謝を、とは。


「いや、その反応は初めて見たな、と思ってな」


「そうかしら?」


ふと気が付くと、周りにいた猫達はすっかり満足したのか、塒に戻っていったようで姿を消していた。


一方、今私の膝の上には、私を探しに来たらしいスピカが丸くなっている。


「それにしても、スピカちゃん。すっかり甘えん坊になったわねぇ」


頬に手を当てて、本当に嬉しそうに彼女は言った。


「アミ嬢が拾ったんだよな?」


「そうよ。眼が見えなくて、貧弱。仲間からはじき出されてしまったその子を見つけたのは、あたし」


随分弱っていたけれど、見捨てることなんてできなかったと彼女は言う。


「ありがとう」


私が言えば、彼女にしては珍しく。


本当に珍しく、きょとんとした顔を見せた。


「それはあたしの台詞なのだけれど?」


「そうかもしれんが。うちの娘を保護してくれたことにお礼を言いたくなっただけだ」


今度は、ぽかんと口を開いた。


「うちの、娘――――。くすくす、本当に。本当にスピカちゃんは愛されているわねぇ」


本当に、この人は―――。

まるで、少し呆れたように。

まるで、少し嬉しそうに。


色々な感情が綯い交ぜになった、不思議な笑みだった。


ふと、膝の上にいたスピカが目を覚ました。

寝ぼけてそのまま水に落ちていきそうだったため、慌てて手で支えると、甘えた様にすりすりと顔を擦り付けてくる。


安心した様子のところ悪いが、スピカ。落ちるぞ?


そう言ってやると。しばらくすりすりをしてから、思い出したようにそっと周りを見渡し。

びっくりしたのか。凄まじい勢いで街の方へと逃げていった。


何してるんだ、あいつは。


その後ろ姿を見送りながら、溜息を吐く。


「ちょくちょく、うちの愚娘が迷惑を掛けていてすまんなぁ。街猫たちにも迷惑を掛けていなければ良いのだが」


そういうと、彼女はついに我慢できなくなったとばかりに笑いだす。


おかしい、とお腹を抱えて笑う彼女の姿は、実に。

実に珍しい物だった。


そのまま、ぽすん、と私の膝の上に。

仰向けになるようにして上半身を預けてきた。


珍しいこともあるものだ。


「くすくす、あの『猫の守護聖人』アデリーナ・ミューゼル侯爵の愛娘を前にして、「迷惑だ」なんて言う猫は居ないわよ?」


「む?」


どういう事だろうか。

それは、あれか。

侯爵の娘に意見したら大変なことになるとかいう、あれだろうか。


違うわよ、と彼女は言う。


「この街には、貴女のおかげで助かった猫たちが沢山いる。貴女を慕う猫たちが、沢山いるわ?」


猫の騎士たちも、街の猫たちも、流れ着いた野良猫たちも。


―――そして、あたしも。


―――その娘を、猫たちが可愛がらないはずがないでしょう?


「はぁ、おかしい。本当に、貴女は自分のことだけは、鈍いのだから」


すっ、と。

下から手が伸びてきて、私の頬に触れた。


「――――ねぇ、アデリーナ?」


いつものように。

可愛らしく首を傾げて言った彼女。


いつもと違ったのは、私の名前を呼んだこと。


彼女が名前を呼んでくれた。


ただそれだけのこと。


ただ、それだけのことに、


――――私の胸は、まるで彼女の足取りのように軽く弾んだのだった。


――――夜が、明けようとしていた。






「それで、その奇跡の瞬間を捉えたのがこの一枚、ということですね?」


にこにこと笑いながら、指さした写真。

釣り竿を手に、エイミーナを膝枕した私が、日の出を眺めているというものだった。


誰がこんな写真を、と思ったが、後で聞いてみると、どうやら撮影したのはコハクだったらしい。


何故か朝早く目が覚め、散歩でもするかーと思い立った彼のもとに、水でびびったスピカが激突。


熊みたいな威力で吹き飛ばされた挙句、「お母さんが水に落ちちゃう!助けて!」とばかりに、ぐいぐい引きずられてあの場までやって来たらしい。


カメラを持っていてくれた幸運に感謝したいところだが、同時にうちの愚娘が迷惑をかけてすまんなぁと、複雑な気分になったのを覚えている。


どうやらスピカを食らったあばら骨に罅が入っていたらしいし。


「スピカちゃん、あの頃から強かったですもんねえ」


「いまだに仔猫のままだがな」


私は笑った。

星の観測者 あでりー
本原稿はあくまでも仮です。ご意見ください
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