9話 「愛称」
ふと、アルバムを眺めていたユグドラシルが、何かに気づいたように目を細める。
―――どうした?
私が問いかけると、彼女は写真の隅を指さした。
「あの、この辺りに何かいませんか?」
ん?どれ...あぁ、彼女じゃないか。
「え?彼女って言うと...この小さく映ってるのが、彼女です?」
あぁ、そうだな。写真だとどうしても見えるかどうかぎりぎりのサイズになってしまうんだよなあ、彼女。
「あぁー、なるほど。そういえば手乗りサイズでしたものねえ」
そういえば、一度アミ嬢に食われかけたことが無かったか、あの子。
「ああ!そういえば!」
その時も、確かコハク殿辺りが撮影していたはずなんだが...
ええと、ええと。
そんなことを呟きながら、目を凝らしつつ彼女はページを辿る。
「ち、小さいからなかなか見つかりませんよこれ!」
あー。
そりゃそうか。手乗りサイズの少女を探すというのは、中々に手間だ。
うんうんと唸りながら写真を探す私たち。
暫くして、彼女が手を止めて、小さく声を上げた。
「みーつけた、です」
ばんっ!
突然、大きな音が酒場に響き渡った。
「...っ!おい、おい待て!待たんかこのネズミ!」
怒鳴りながら酒場に駆け込んできたのは、何故か白衣を着たヴォルグだった。
「えっ、なになに!?」
「わっ、ヴォルグさん?」
「って、ヴォルグさんでしたか」
最近気に入っているのか、椅子を前後にゆっくりと揺らしていたユグドラシルや、食事を取っていたアルバ、祟たちが目を丸くして言う。
しかし、当の本人はそれどころではないのか、血眼になって何かを探している。
「ああ、くそ!何処へ行った!?」
きょろきょろ、と見回すも、見つからない様子。
...わざわざ視なくとも、ネズミという単語だけで大体の事は分かる。
「...大方、先日の助手にでも逃げられでもしたな?」
「そうだ!先日のネズミだ、ネズミ!」
確か、南天の実の飾りを付けた、小さなネズミの少女だったか。
つい先日、店長代理の緑のたぬきさんがどこからか拾ってきた人物だった。
人物?...まぁいいか。
軽く、飛び込んできた辺りから過去をトレースしていくと...見つけた。
カウンターの向こう側から、顔だけを出してこちらを伺っている。
「ああ、居たな」
私の視線に気づいたらしい彼女は、わざわざ壁から出てくるとぺこりと頭を下げて、またそっと隠れて顔を出している。
妙に律儀だ。
私の眼の向きに気づいたらしい祟が、視線を辿って彼女を見つけたらしい。
ぱあ、と顔を輝かせて、小さく手を振った。
「なっちゃん、こんばんは!」
すると、またちょこちょこと壁から出てきて、ぺこりと一礼。
また慌てて壁の向こうへ引っ込み、顔をそーっと出し始める。
なんだ、その。
和むな?
背負った背景の割に、随分と挙動は可愛らしい。
いや、挙動が可愛らしかったがために、その背景をどうにかしようと酒場の面々が勢い良く動き出してしまったのだが。
問題もすっかり解決し...きっては居ないのだが、まぁ、どうにかなるという道筋が立ったため、現在はほぼ小康状態と言える。
さて、そんな彼女だが、どうやら怖い師匠に追われているらしい。
まぁ、ただでさえ目つきの怖い彼が、凄い剣幕で追ってくるのであれば逃げたくなるというのも分かる。
その師匠が、どうやら彼女を見つけたらしい。
「見つけたぞ!おのれ!そこを動くな!」
まるで復讐者か何かである。
正直、目が怖い。
「ヴォルグさん乱暴はだめ!」
ずんずんと進んでいこうとするヴォルグを、近くにいた祟が抱き着くようにして止める。
「お、おい離せ」
「だーめ!落ち着くまでは動かないで!」
なにやら懸命に止めている。
だが、忘れてやいないだろうか。
今、この場で最も止めるべき人物が、野放しになっていることを。
忘れてやしないだろうか。
「......!」
尻尾をぴーんと立てて、にんまりと笑みを浮かべた、悪戯猫の存在を。
足音を立てず、誰にも気づかれないように、すすす...と移動していくエイミーナ。
これはもう止まらないだろう。
「...アミ嬢が凄まじく、キラッキラしておるなぁ」
溜息半分に私は言った。
その様子に、祟も気付いたようで、慌てるでもなく「あ、これもうだめだ」みたいな顔をして呟いた。
「まって凄いキラッキラしてる...」
ああ...。
酒場の全員の意識が一致した。
――――やべえ。
と。
「そ、そーいえばアミさんの種族って...」
祟が恐る恐る問う。
本人は答えない。すっかり夢中になっている。
猫まっしぐら。
「おい、おいアミ嬢。待て」
ヴォルグが祟に抱き着かれたまま、じたばたと抵抗を始める。
「そいつは俺の資金げ...助手だっ!」
今、ちょっと漏れたらいけない単語が漏れかかっていたな。
はあ、とため息を吐く。
そして、壁の向こうでぷるぷると震えながら近づいてくるエイミーナを見つめていたなんてんだったが。
「おいでおいで?お菓子があるわよ?」
なんて、猫なで声で手招きする、悪い猫さんに騙されたのか。
てててっ、と小さな体でエイミーナに寄っていく。
あぁ、無常。
あ。と、誰かが言った。
「おま、お前も寄るな!警戒心ゼロか!?」
ヴォルグが頭を抱える。
そして。
「つーかまーえた!」
実にご満悦な表情のエイミーナに取っ捕まったのだった。
「ふふふ。あなた可愛いわねえ。ちっちゃくて、ふわふわで、いい匂いがする」
むにむに、と捕まえたなんてんを弄ぶエイミーナ。
どうも、彼女のお気に召したらしい。
その場面だけ切り取ってみれば、微笑ましいやり取りなのだが。
この後が良くなかった。
――――――食 べ ち ゃ い た い 。
「誰かアミ嬢を抑えろー!」
ヴォルグが叫ぶ。
「あみさんだめー!まだ血清も打ってないのに!」
祟までがつられて叫ぶ。
「アミさん、ごめんね。トリンガント」
ぱちん、とユグドラシルが指を鳴らし、トリンガントをエイミーナの背後に召喚。
そっと優しく摘まみ上げた。
「に゛ゃっ!?」
首の後ろを摘まみ上げられ、ぷらーんとぶら下がるエイミーナ。
「んもう、なにするのよお...」
「あーあー...。アミ嬢、大丈夫か?」
「酷いわ。ねずみを獲るのは猫のお役目なのに...」
トリンガントにぶら下げられてるエイミーナ。
そしてそのエイミーナの手にぶら下げられているなんてん。
マトリョーシカか何かか?
「あーあー...。だから逃げるなと言ったのだ」
やれやれ、とヴォルグが頭を抱えた。
とりあえず。
エイミーナの手から救助されたなんてんは、祟が胸元に入れることでヴォルグの手から保護することに成功した。
「ここならヴォルグさんも手を出せないからねー」
彼女は笑う。
確かに、ここで手を伸ばそうものなら社会的にも物理的にも殺されてしまう事だろう。
恐ろしい話だ。
一方のエイミーナは、少ししょんぼりしたのち、すまし顔ですすすと移動してきたと思うと、何故か私の後ろに腰を下ろした。
今度は私が捕まるのだろうか、と思いつつ、「何故たた嬢の方に行くのだ!?」と叫ぶヴォルグを諫める。
「そりゃあ貴殿、目が怖いからなあ」
通貨のような形をした目になっていたのではなかろうか。
「やっぱり目じゃないです?」
祟も同意見のようで、追撃を掛けている。
...そして、先程からエイミーナに背中をかりかりやられているのだが。
憂さ晴らしなのだろうか。
「...それで、なんでまた逃亡したのだ?」
溜息混じりに聞いてやる。
「いや、それがこいつ、言葉を話せんだろう」
「そういえばそうだったな」
「なのでちょーっと脳をいじくってやろうとしたらな、このざまだ」
こいつは何を言っているのだろうか。
思わず、シンプルにそんなことを考えてしまった。
ふむ。言語の直接入力か。
聖書を読ませるより効率的ではないか!と叫ぶヴォルグを眺めながら、とある魔道具の存在を思い出した私は、ポーチを漁る。
ああ、これだ。
「時にヴォルグ殿」
「なんだ?」
「このメガネを掛けてみろ」
「...?」
私がメガネを渡してやると、何の迷いもなくかれはそれを「掛けようとする」。
「そのメガネな。私の視界を一時的に模倣するメガネでな」
―――――――情報を脳に叩き込まれる感覚が、味わえるぞ?
言葉を認識し、理解したときには。
彼はもう、それを掛けていた。
「......―――――――――――!?!?!?」
「...っ!!はー...はー.........」
「で、反省したか?」
脳に情報を叩き込まれ、悶絶するヴォルグからメガネを取り上げた私は、屈みこんでヴォルグに問うた。
「いや、俺はナディのためを思ってだな!?」
なんてことを、大声で叫んだ。
「「「「......ナディ?」」」」
皆が呆気にとられたように鸚鵡返しをする。
発言した張本人は、慌てて口を押えていた。
「くくく、なんだ。案外愛称など付けて可愛がっているのではないか。なあ?」
「まさかの、愛称付け。......となると、あたしも食べる訳にはいかないわねえ」
「食うなよ!やっと調合を覚え始めたばかりなのだ!苦労が水の泡になる!」
もはややけくそ、とばかりにヴォルグが叫ぶ。
おい、普段のクールな態度はどこへ行ったのだ、貴殿。
ふと、私の背中をかりかりやっていたエイミーナが、すす、となんてんに近寄っていく。
「エイミーナ・ホワイトシュガー・ミヌエットよ。まあ、お好きに呼んで頂戴な」
...よろしくね?と言いながら、ちょんちょんとなんてんを突くエイミーナ。
なんてんも顔を明るくして、楽しそうにしている。
どうやら、猫と鼠の関係でもきちんと仲良くなれるらしい。
一方。
「何故猫であるアミ嬢に懐くのだ...!?」
等と言いながら、崩れ落ちるヴォルグ。
「ま、その子を可愛がってあげなさい。...今さらかしら?」
エイミーナが、なんてんを軽くヴォルグの方へ押し出しながら言った。
とてて、と。
ヴォルグの方へ走り出した途端、なにやらとても悪い顔で笑い始めるヴォルグ。
「フハハハハハ!やはり貴様はよく解っている!いいか!俺が主だ!俺が契約主だぞ!」
高笑いを始めた。
「...おい、やはりこの悪魔。一度お灸を据えておいた方が良いのではないか?」
あまりの態度に、思わず。
口にしてしまう。
「あ、なら私がやりましょう」
「まず、縛り上げます?」
いかん。血気盛んな連中が一斉に動き出してしまった。
「ふぐっ!?」
あっという間に悪魔を取り押さえる面々。
「もう一回、あでりーさんのメガネいっときます?」
「...だそうだが、いっとくか?」
「遠慮する!遠慮する!」
必死でいやいやをするように首を振るヴォルグ。
「まあまあ、私の眼とお揃いなんだ。遠慮しなくて良いぞ?ん?」
「遠慮すると言っているのに!アミ嬢!見てないで助けては貰えんか!」
まさに必死、という形相でエイミーナに助けを求めるヴォルグ。
そんなに私のメガネはお気に召さなかったらしい。
「ごめんなさい。あたしいまサラダを食べるのに忙しいの」
「馬鹿な!?いつ食べ始めたのだそれは!」
ふと、足元で懸命に紙を掲げる小さな影に気が付いた。
屈みこんでみれば、なんてんが一生懸命に掲げていた紙に書かれていたのは、そう。
ーーーーヴぉるぐ すき いじめ ないで。
「―――――っく、ははははは!大丈夫、冗談さ」
私はそう言って、彼女の頭を軽く撫でてやる。
「...だそうだぞ、諸君。彼女に言われては仕方あるまい」
言ってやれば、ちぇー、等と言いながらヴォルグを解放していく一同。
一方、解放された本人は、顔を真っ赤にして震えていた。
「――――――!!」
「なあんだ。あたしたち、すっかり余計なお世話だったみたいね?」
サラダをつつきながら、エイミーナが苦笑した。
「...研究に戻る!行くぞ、ナディ」
顔を真っ赤にして小刻みに震えるヴォルグのもとに、なんてんが駆け寄っていく。
彼女を抱き上げたその手は、酷く優しい手つきだった。
「あらあら、もういっちゃうの?」
「研究が忙しいからな」
「大丈夫?ハンカチーフは必要かしら?」
「泣いてはおらんわ!!!これは...」
―――――ただの、塩だっ!!
若干、涙のきらめきを残しつつ、悪魔とその助手は去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、頬杖をついたエイミーナが呟いた。
「......それを泣いてるって言うのよねえ......」