10話 「ポーラスター」

2019年09月16日




「はー、しかしいい香りですよねえ、お料理って」

そんなことを突然、彼女が言い出した。


ん、まぁそうだな。

香りというのは食欲をそそらせたりするしなぁ。


「そういえば、アミさんが皆の香りのイメージについて話をしていたこともありましたね」


あったな。


「それで、黎さんが興味をもって」


あぁ、あったあった。

本当に、割と何にでも興味を示す男だった。


純朴、とでも言えばいいのか。


「一度、香水つけ過ぎてすごい匂いになっていたことありましたねえ」


アミ嬢にダメだしされて崩れ落ちたときのあれか


「そうそう!あれも写真あったりするんですか?」


あー、香水を選んでいた時のなら、あったはずだけど...













ある日。

いつものように魚を釣り、酒場の裏手に作られた生け簀へ適当に放り込んだのち。

特に仕事の依頼もなかったため、一人で街を散策していた。


たまには、昼間の散策というのも悪くない。


夜には感じることができない、街の活気や、人々の声。

そこに息づく、命と言えばいいのか。

そういった営みを感じることができる。


よくもまぁ、ここまで復興したものだと思う。

一度は世界もろとも絶滅しかかった人類がここまで栄えるまで、随分と長い、長い時間がかかった。


そこに生きる者たちからすれば、気も遠くなるような長い年月を掛けて栄えた人類。

その吐息を間近に感じるというのは、私のような人間からしても、素敵な事だと思うのだ。


さて。

特に何か目的がある散策ではなかったのだが、どうも猫の鳴き声が聞こえる。

おや、また随分と数が集まっていそうな鳴き声だな?と思い、ひょいと鳴き声の響いている路地を覗き込めば。


猫となにやらにゃあにゃあやっているエイミーナを見かけた。


また和む光景だなあ、と思っていると、不意にエイミーナがこちらを見た。

「あら、アデリーナかしら?」




「猫たちは良かったのか?」

「くすくす。もう用事は済んだもの。それで、今日はどんなお散歩?」


鈴を転がすように、ころころと笑うエイミーナ。


「取り立てて目的もない、ぶらり旅だよ」


あらあら、それは素敵なお散歩ね?と、小さく首を傾げたエイミーナが笑う。





「あれ?あでりーさんとアミさんじゃないですか!こんにちは!」


二人して、特にやることもなく、ただ街を眺めたり、アイスクリームなどを買ったりしつつ、散策を続けていると、今度は祟の声が聞こえた。


振り返ると、手を振りながら小走りに掛けてくる祟の姿があった。


「あら、祟さん?こんにちは」

「や、祟殿。こんにちは」


「こんにちは、お二人とも。今日はどうしたんですか?」


「いやな、二人して目的のない散策をしていたのだ」


私の言葉に、エイミーナもこくこくと頷いていた。


「じゃあ私もお供しましょう!暇なので!」


「うふふ、だんだんお供が増えていくわねえ。鬼退治にでも繰り出すのかしら?」


おかしそうに、エイミーナが笑った。


「その鬼が仲間になってしまったのでな。桃太郎を退治しにいくことになりそうだ」


私がそう言うと、二人はくすくすと笑った。

この町は広いが、昼間に散策していればほぼ必ずと言っていいほど、誰かと出会う。


それは猫の会議に参加していたエイミーナだったり。

ぶらぶらしていた祟だったり。

配達中の蜜柑とすれ違ったり。

何故か定期的に脱走するなんてんを追いかけるヴォルグだったり。

買い出しに出てきた緑のたぬきだったりと。


よくもまぁ、バリエーションが尽きないものだと思う。







「あれ?あれは...」


不意に、祟が何かに気が付いた。


「あ、やっぱりそうだ。黎さんじゃない?」


祟が指さす方向に視線を向ければ、そこにはショーウィンドウに貼りつき、中をのぞき込んでいる黎の姿を見つけることができた。


「あら、死神さんね?でも...香水のお店よね、ここ?」


流石、鋭敏な嗅覚を持つエイミーナ。

確かに、黎が貼り付いているショーウィンドウの店は、香水の店だった。


当然のように女性向けにデコレーションされた店内には、若い女性が楽しそうに香水を選ぶ姿が見て取れる。

そんな店の前で、ショーウィンドウに陳列された香水の壜を熱心に眺める黎。


...これはあれか。


「黎さん、香水に興味あるのかな?」


「あらあら。今度は香水に興味を持ったのね。...お年頃かしら?」


くすくす、とエイミーナが笑う。


「言ってやるな。また思春期だのと揶揄われそうだしな」


「そうねえ、折角だし、あたしたちで選んであげない?香水」


「おっ、それいいですね!」


名案、とばかりに顔を輝かせる祟。


「ふむ?まぁ、良いのではないか?あのままにしておくのも、幾分か外聞が悪かろう」


「そうときまれば、突撃ですね!」

「ほう、香水か」


屈みこむ様にしてショーウィンドウに貼り付いていた彼の肩越しに顔を出しつつ、そんなことを言ってやる。


びくん、と黎の肩が大きく震えた。


「あ、あでりー!?」


「随分楽しそうね?私が選んであげましょうか?」


反対側の肩越しに、エイミーナが好奇心を隠さない表情で除き込んだ。


またしても、びくんと震える黎。


ガラスに映り込んだ彼の顔が、「やばい連中に見つかった」という顔をしているのに苦笑してしまう。


最後に、祟だ。


彼女は、黎の頭に顎を乗せると、


「おねーさんたちに任せなさい?」


と、にんまり笑って、逃げ出そうとする彼の肩をがしりと強く掴んだのだった。


「い、いや俺は別に!」


「何を言ってるんですか。興味あったんでしょう?」

祟がにまにまと猫のように笑い、黎の肩をぐいぐいと押し、店へと引きずっていく。


「こういうお店は、女の子と入るものでしょう?」

等と言いつつ、エイミーナが後ろをついていった。


「...ははは、黎殿も大変だなぁ」

私は苦笑し、その後をついていくことにした。






「ほう、随分と賑わっているではないか。なあ?」


色とりどりの小瓶が所狭しと棚に並び、うっすらと漂う様々な香りが入り混じった少し複雑な香りが鼻腔を満たす。

香りが混ざりすぎるのを店側も解っているのだろう。あちこちに取り付けられた窓は全開になっており、さらに天井に取り付けられたいくつかのシーリングファンが室内の空気を上手く外へ逃がしている。


さて、店内は女性で溢れていて、そんな場所に押し込まれた黎は顔を赤くして視線を彷徨わせている。


「す、凄い数だな...」


とはいえ、足を踏み入れてしまえば、羞恥よりも好奇心が勝ったのだろう。

若干どもりつつも、その目はきらきらと色とりどりに輝く香水の壜に釘付けになっていた。


興味津々、といった様子で、小瓶を手にしてはすんすんと鼻を近づける、を繰り返している。


このまま放置していたら、何時間かかるか想像もつかない。


「それで?黎殿はお目当ての香水はあるのか?」


そう言うと、黎は参ったなあ、とばかりに頭を掻く。


「いや、香水を買うの自体が初めてでな...。どんなのを付けたらいいんだ?」


「なるほどー。香水初心者なんですね!じゃあ私たちで選んじゃいましょう!」


「それなら、折角ここにいることだし、アミ嬢の力を借りてはどうだ?」


「あたし?」


「それは...頼んでみたいな。いいか?」


「くすくす、なら...」


すす、と黎に顔を近づけて、すんすんと軽く匂いを嗅ぎ取るエイミーナ。

しばらく考えたのち、彼女は「そうねえ...」と言い、その場を離れる。


しばらくして、一つの小瓶を手に戻ってきた。


手にしているのは、深い紺色から、鮮やかなバイオレットへのグラデーションがかった、夜明けを思わせる色の小瓶。


「死神さんはね、始めたての恋の匂いがするわ。恋って、何も他人に対してだけじゃないのよね」


...おひさま。夜空。湖に写る自分。世界の全てが色付いて...。


ちょっと恥ずかしいのだろうか。黎の顔がうっすらと赤らんできていた。


「あらあら、冗談よ。そんなに赤くならないで?」

くすくす、とエイミーナは笑う。


「あなたは、夜明けの香り。夜明けの空。黎明の空の香り」


とても静かだけれど、どこかで何かが小さく、目覚め始めた音がする。


「いずれ朝になるのでしょうね。朝ごはんの用意はもうできた?」


言いながら、彼女は香水を一吹き、黎に振りかけた。


まるで、魔法をかける、おとぎ話の魔女のようだな、なんて。

柄にもなく、考えていた。


「...すんすん。へえ、良い香り。なんとなく、夜明けみたいな、涼やかな、綺麗な透き通った匂いです。黎さんに良く似合いますね!」


祟が、黎に顔を近づけてそんなことを言った。

確かに、月並みな表現ではあるが。彼にはよく似合う匂いだろう。


「...へえ、こんな香りになるのか。気に入ったな。これにするか」


黎も気に入ったようで、小瓶をまじまじと見つめている。

まったく、エイミーナのこうした「嗅覚」は頼りになるな。


「じゃあ次は、鬼の貴女ね?」


「おっと?私のも選んでくれるの?」


「折角だから、あたしが選んでみたいの」


また、先程と同じように顔を寄せて香りを確認すると、そのまま迷いない足取りで店内を歩いていき、一つの小瓶を持ってきた。


――――黒字に金の蒔絵があしらわれた、エキゾチックな小瓶だ。


「鬼の貴女は、遠い異国の香り。東洋のまぼろし。神々が生きる場所。まじりけのない血。黄金の大地。それらが、貴女の中に流れてる」


言いながら、祟にもしゅっとひと吹き、振りかける。


「...どうかしら?」


「む。これは中々。東洋系と言えばいいのか。エキゾチックな雰囲気だな。香り高いのだが、決して嫌味ではない。彼女に良く似合うのではないか?」


「凄い!アミさんありがとう!魔法みたい!」

祟は酷く喜び、そして

「これ気に入ったから買ってきちゃうね!」


そう言うと、小瓶を掴んでレジへと駆けていった。

その姿を見て、黎も我に返ったのか、祟と一緒に会計に並んでいく。




「さて。占い師さん―――アデリーナは、北の星空の香り」


ひょい、と。

エイミーナはそう言いながら、すぐ隣の棚から小瓶を取り上げた。


氷山のような、透き通るアイスブルーの小瓶だ。


「またたくオーロラ。きらめく北極星。落ちた流れ星から生命が生まれて、流氷がくだけて。それはきっと、海を巡ってあたしたちのところに辿り着くの」


さ、どうぞ?


私に向けて一吹き。


―――――なるほど。これが私の香り、ね。


私はあまり香水の類には詳しくない。

先程まで、ろくなコメントが出来ていないあたりで察しているだろうとは思うが。


しかし、何と言えばいいのだろうか。


黎と、祟の気持ちが分かった。

たしかにこれは、魔法をかけられたような感覚だった。


お気に召したかしら?とエイミーナが微笑む。

私の顔を見れば、答えなど分かろうというものなのに。


「勿論。...これは、何という名の香水なんだ?」


彼女は微笑んで口を開いた。











「ところで。エイミーナの香りはどうなんだ?」


「あたし?あたしは...そうねえ」


子猫のくしゃみ。

小鳥のしっぽ。

日向の白い花。

スパイスの効いたジンジャークッキー。

指折り数えていく。


「うふふ、猫ってそういうものでできてるのよ?」


難しそうな顔をしていただろうか。彼女は笑う。


「難しく考えちゃだめ。くしゃみが出ちゃうから」


「っふ、ははは。そうだな、難しく考える必要は、ないか」


私たちは顔を見合わせて笑う。


その後、エイミーナは、「ちょっとお店の匂いで、鼻が利かなくなっちゃいそうだから、先に出ているわね」と言って、ふらりと店から出ていった。






ぐるり、と。


彼女の出ていった後の店内を見渡す。


―――彼女に似合う匂いはあるだろうか。


こういう時ばかりは、自分の無暗に優れた直感を最大限活用したいと思う。

ぐるりと見渡した棚の中、一つの小瓶が目に入った。


手に取って、香りを嗅いでみる。


―――うん、これだ。


薄っすらとピンクが掛かった、スモーキーな色の小瓶。


彼女の選んでくれた小瓶と一緒に、会計を済ませる。


―――さて、彼女は喜んでくれるだろうか?

せめて、香水を選んでくれたお返しになればいいのだが、と考えながら、店員から差し出された紙袋を、私は受け取った。












―――――――懐かしいな。


思わず、あのとき彼女に選んでもらった小瓶をポーチから取り出して眺める。


ユグドラシルが、微笑ましいものを見る目で私を見ていた。


中の香りはもう、とっくに消え去ってしまったけれど。


夜明けを思わせる色の、透明感のある、美しい小壜。

はじめて香水をつけた、初々しい笑顔。


黒字に金の蒔絵があしらわれた、素敵な小壜。

すごい、ぴったり!と喜び、会計へと掛けていく嬉しそうな横顔。


薄いアイスブルーに輝く、まるで小さな氷山のような小壜。

北の星空の香り。


薄っすらとピンクが掛かった、可愛らしい小壜。エトワール・ブランシュ。

選んでもらったお礼に、と。私が香水をプレゼントしたときの、彼女の驚いた表情。


―――なんでもない、ただの日常のひとコマ。

そんな、日常の一コマに込められた幸せな思い出たちは。


今でも思い出せる、あの香りと共に。

色褪せずに、残っている。






きらり、と涼やかに光を反射する、水色の小壜を、太陽に透かすように掲げた。

落とさないように、大切に。


壜の中には、何も残ってはいない。

眩しいものを見るような眼で、ユグドラシルも小壜を見つめていた。


「そういえば、なんという香水だったんですか?」


ん?ああ、これはな――――




――――――――――――――「ポーラスター」と、言うんだ。



小瓶の中には、もう何も残ってやしないけれど。


けれど。


あのとき、一緒に小壜を選んだ彼女たちは。

あの日の事を、覚えていてくれただろうか、なんて笑いながら。








星の観測者 あでりー
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