12話 「東方湯殿噺」(後編)

2019年09月16日








ポノに金魚すくいのコツを教わりながら楽しみ、すっかり汗も引いた我々三人は部屋へと戻ってきていた。


「あれ、ヴォルグさんじゃん!」


楽しそうにそう言うと、たたたと駆け出すポノ。


ん?ヴォルグ?

もしや、宿泊している部屋の前、廊下の壁際に打ち捨てられたように転がっているあれのことだろうか。


屈みこんだポノがつついている。

つつかれても微動だにしていないあれが、そうなのだろうか。


「あらあら、ヴォルグくんはどうしたのかしら」


頬に手を当て、笑うエイミーナ。

反対の手には、金魚を入れた袋がぶら下がっている。


猫の手に金魚。


逞しく生きてほしいと切に願った。










ひとまず、床に転がったままぴくりともしない悪魔を放置し、部屋へと入る。


「あ。みんなおかえり」


目に飛び込んできたのは、蜜柑の笑み。

よく見れば、蜜柑を中心として布団が放射状に敷かれており、その真ん中に座布団を敷いて蜜柑が座っていた。


「んん?どういう状況だ、これは」


いやー、あはは。と蜜柑が困ったように笑う。


「あんなぁ、この子たち茹で上がってもうたやろ?」


確かに、転がっているのはゆでたぬきを始め、ゆで狼、ゆで神樹などののぼせ上った面々である。

何故か、鼻血を流しながら幸せそうに倒れている祟も混ざっていたが。

いや、こいつは上がるときまでは元気ではなかったか?


「だから、蜜柑くんやねん」


「んん?」


「蜜柑さんの周りは涼しいですからね」


ふと、苦笑いするアルバから補足が入った。


「ああ、なるほど。そういえばそうだったな」


そのおかげか。

すっかり真っ赤な顔になっていた面々の顔色が少し回復している。


「またすまんな、蜜柑殿」


「ううん。僕で役に立てるならどんどん使ってよ」


「ありがとなあ」


雪華が苦笑いを浮かべる。




「それで、廊下に転がっているドクターはどうした?」


「あれな。あれでも一応医者やし、一度見てもらお思ったんやけどな」


どうやら何かやらかしたらしい。


「真っ先にティポちゃんを診るのはまだええねん」


そう言って、雪華が溜息を吐く。


「ただなあ、のぼせ上って赤い顔、汗ばんだ肌...」


「あぁー......」


察した。

察してしまった。


「あいつ、患者を前にして生唾飲み込んだんやで?そら蹴るやろ」


「なるほど、正当な処置だな」


それであんなにボロボロになっていたのか。

殺されなかっただけ良いと思ってもらうとしよう。






しばらくして。

保冷剤のように部屋の中央に鎮座させられている蜜柑の冷却効果によって回復した面々を含め、食事を済ませた。


食事は、流石雪華が太鼓判を押すだけのことはあり、とても美味であった。


功労者である蜜柑については、まだ不安が残る茹でられた女性陣のために一緒に食事をとることになった。

本人は困ったような嬉しいような顔をしていたが、微塵も男一人であるという事に違和感を感じさせない振舞いは、流石と言わざるを得ない。


―――まぁ、それで過去に大変なことになったのだが。


それにしても極東の食事は繊細で味わい深い。

ぜひ習得したいものだ。





食事が済み。

思い思いに語らっていた面々だったが、風呂でのぼせた疲れもあったのだろう。

特に賑やかな面々は、皆布団に潜って夢の世界へと旅立っていった。


他の面々も、寝る支度を始めているさなか。


そういえば、雪華の姿が見えないと思った。
















「おや、あでりーはんやないの。眠れんのかえ?」


襖を開き、縁側に出ると、雪華があぐらをかいて座り、御猪口を傾けていた。

月明かりに照らし出された彼女は、どこか神秘的で。


流石と言うかなんというか。

着慣れない私たちとは異なり、よく浴衣が似合っていた。


「やあ、雪華殿。月見酒、というやつかな?」


私が言えば、彼女は呵々と笑う。


「せやせや。この国でのいっちばんの贅沢やで?」


「ふむ。であれば私もその贅沢、ご相伴に預かっても?」


「ええで、こっちゃ座りい」


いそいそと座布団をどこからか取り出した雪華に薦められ、隣へと腰を下ろす。


ほれ、と。

先程の温泉でしたように、御猪口を手渡してくれる雪華。


「有難う」


受け取り、酒を注いでもらう。


澄んだ色だ。そう思った。


小さなグラスに注がれたそれは、丸々とした月を映し出し、静かに揺れる。


「おっ、分かるかえ?」


じっと、水面の月を眺めていたことに気づいたらしい。


それが風流ってもんや、と彼女は笑った。

暫くの間、雪華にしては珍しく、静かにグラスを傾けていたと思う。


「あでりーはんには感謝しとるんや」


ぽつり、と呟くように彼女は言った。


「何がだ?」


「ん。皆をここに連れてきてくれたこともそうやし...」


酒場の面々の抱える問題にも、いつも力を貸してもろうて、ありがとなぁ。

彼女は言う。


「なんだ、そんな事か」


改めて感謝されるほどの事でもない、と思っている。

それは、何も偽悪的な物言いをしたいわけではない。


私は十分に、皆から返してもらっているからだ。


「―――ま、そうだな。気になるなら、この月見酒に付き合ってくれれば、それでいいさ」


苦笑気味に言ってやる。


「あでりーはんは、ほんまいい女やなぁ」


「それを雪華殿が言うか?」


「かっかっか!勿論、うちもいい女やで!」


思わず、二人して笑った。






「そういえば、先程ポノ殿の昔話は聞いたが。雪華殿の話は聞いたことが無かったな」


「あー...そういえばそうかも知れんなぁ。...ほな、どこから話そか?」


今更かしこまって自己紹介もなあ、と彼女は笑う。


「もう千年以上生きとるかのう。種族は...知っての通り、あれや。角が二本ある...」


「ああ、牛か」


「そうそう、それや。牛。...ってちゃうわ!」


あでりーはんもボケるんやなぁ、なんて彼女は言った。


「ったく...鬼や、鬼。まぁ、うちに角はないんやけどな」

鬼にも色々あるけえの。


「うちの祖先...というか、ルーツは『まつろわぬ神々』での」


「まつろわぬ神、と言うとあれか。はみ出し者とでも言えばいいのか」


「せやせや。まぁ、せやから鬼とはいえ、うちも半分の半分の半分...そのまたさらに半分...くらいはまぁ、神様の端くれみたいなもんやな」


どやどや?凄いやろ?

彼女はにんまりとした笑みを浮かべて言う。


「そうだなあ」

私が苦笑して言うと、彼女は「せやった!あでりーはん神の器やんけ!」なんて。

わざとらしく頭を抱える。


こほん、とわざとらしい咳ばらいを一つ。


彼女は語る。


「うちが生まれた場所は、極端に雪の多い地域での。人々は冬が来る度に、身を寄せあって過ごしとった」


「囲炉裏の火が、窓にゆらゆら揺れてなあ。それに惹かれるようにして、うちはこっそり里におりていったんよ。あ、決して正体を見せんようにしてな」


怖がられるからな、と彼女は言う。


「というても。さっきも言うた通り、うちには凄い力なんてなかったからのお」


村の人達を助けてやりたくても、何もできへんかった。

出来るのは、あめつちの神々に祈ることだけ。


―――ちいと険しい山にわけいって、獲物を狩ってくることだけ。


―――ちいと高い崖によじ登って、薬草をつんでくることだけ。


「ほんまにたいしたことはできんかってん。せやけど、人はうちに感謝して、祠までたててくれてな。この里には、姿の見えない優しい神様がいらっしゃる。そういって皺だらけの手を合わせての」


酒も毎日供えてくれて、宴会までしてくれて......


「ただの鬼かて、そうされたら嬉しいもんでのお」


彼女は、本当に嬉しそうに笑った。


......せやけど、と彼女は続ける。


「その年の冬は、いつにもまして厳しくてのお。食べ物はおろか、暖をとるための炭すら足りんくなってん」


大人も子供も身を寄せあって、寒さにぶるぶる震えとった。


「可哀想で、見てられんでなあ。薪を探しに山に入ったけど、使えるものは残ってへんかった。獲物かて鹿や兎はおろか、こねずみ一匹見当たらん」


「その日は仕方なく、幾らか木の実を掘り起こしてな。村の家の軒下に置いておいたんよ」


ぱたぱた、と身振り手振りを交えて彼女は語る。


「さて、祠に戻ったうちは考えた」

考えるように、わざわざグラスを置いてから腕組みをする雪華。

こういうところが、人に好かれる所以なのだろう。


「まず、薪をなんとかせなあかん」


火がなければ、村は凍りついてまう。


「...ふと、とある猟師が言っとったことを思い出した。魔物の角をな。特殊な脂で覆うねん。すると、それは三日間燃え続ける明かりになる」


「強い魔物の角やったら、一週間。もっと強い魔物なら、十日間。もっともっと強い魔物なら、それ以上。うちは額に手をやった」



...なんや。角ならあるやんけ。



「翌日、村は久しぶりに活気づいとった。なんでも、村の祠にどでかい魔物の角が置いてあっての。暫くはそれを分け合って、寒さを凌げそうや、って」


皆の喜ぶ顔を見て、うちもほっとした。

その日は酒は飲まずに祠に帰って、そのまま寝た。


「結局、その火は1ヶ月間燃え続けてくれた。せやけど、雪国の冬は長い。1月のおわりになった頃、また炭が足りんくなった」


「皆、また祠にお参りに来た。あの角を下さい、もう一度お恵みくださいと」



彼女は笑って額に手をやった。

ええよええよ。いくらでも持ってき。と。



「ま、そんなこんなで無事に冬を乗り越えられたんやけどの。......えっらい顔しとるなあ。うちはほんまに気にしてへんで? 角のない生き物かて、腐るほどおるやんか」


それこそ、人間みたいにの。

彼女は言った。


「ふむ。...では、何故村を?」

私が訪ねると、彼女はふっと、寂しそうに笑う。


「なんてことはないねん。...ただ、聞いてしまったんよ」

「あれは春のはじめの頃だったかのお。あれだけ寒かったわりに、あたたかくなるのは早くての。うちは上機嫌で夜道を歩いとった」


「そしたらな、急に近くの家から怒鳴り声が聞こえてきたんよ」




―――どうしてそんなことをするんだい! そんな悪い子は、鬼にはらわたを食われてしまうよ!




―――嗚呼、それは。


「いや、なんちゅーことを言ってくれとんねん、って感じやんな。うちそんなことせえへんし。そんな野蛮な生き物ちゃうし」

......せやけど、体が凍り付いたように動かんくなってん。


「しばらくして、子供が家から走り出てきた。その子は祠にやってきてな。泣きながらこう願ったんよ」


―――――神様、神様。どうか鬼を追い払ってください!


......うち、その場から動けなくなってしもてん。


「そうや。うちは鬼や。人に恐れられ、煙たがられる生き物や」


「神にはなれん。だって鬼や。そら怖いよなあ。祈りたくもなるよなあ」



――いつからそれを忘れとった?



「......気づいたら、うちは村のはずれにぽつんと立っとった」


「戻ろうとしたけど、足が竦んでなあ。そのまま逃げ出してしもてん」



――――遠くへ。遠くへ。





「 うちの話はこれでしまいやで。おしまいおしまい! なーんの落ちもありゃせんよ!」

ぱちん、と手を合わせ、彼女は言った。

おしまい、おしまい、と。


しかし、私はそこまで優しくない。

特に、こき使われた日くらいは、少し意地悪もしたくなろうというものだ。


「ふふ、だが、そうだな。それを『誰かさん』に言って、盛大に怒られたのではないか?」

少し、悪戯っぽく笑い、そう言ってやると、彼女は吃驚したような顔をして固まった。


「あー......。参ったわこりゃ。なんやあでりーはん、過去でも視たのかえ?趣味悪いわぁ」

参った参った、と頭を掻く雪華。


「過去なんて視ずとも、分かる事だろうさ」

私は笑う。


「......うん、まあ。実はこの話をあの子にしたらの。やたら怒られてしもての。あの子、半分は人間やってんな? 鬼より怖いわ...。なんなんや一体」


ほんま怖いわぁ、と。

照れくさそうに、彼女は笑う。


......ごほん。


「で、あの子が言うたんよ」


―――雪華さんは、雪がとけたら何になるか、知ってますか?


「そんなん決まりきっとるやん、って、その日は返したんやけどの。」


「そんな話をした、だいぶ後。ほんまにほんまに後の後や。鬼の存在なんてもう、だあれも忘れたくらい後やで?」


「ふと気になって、その場所を訪ねてみたんよ」


「当然、村なんてなくなっとった。東の国自体が終わりかけとったしの」


......かわりに目に飛び込んできたのは、一面の白い花。

まるで雪が振り積もったみたいに、あたり一体が花まみれ。


いや、何これってなるやん。暫くその場をうろうろするやん。

......そしたらな、足元に石碑が置いてあってん。

――なんでも、この村には心の優しい鬼がいたんやと。


「恥ずかしがり屋の鬼やから、気づいた人はお酒をそなえるだけで、そっとしといたんやけど。でもある年の冬、村がかつてない大雪に見舞われた時」


その鬼は自らの身を投げ打って、村を助けて。かわりに突然姿を消してしまった、と。


「それから村では、鬼への感謝を忘れないために。雪のような真っ白い花を、いつも祠に供えるようになった、と」


「......いやいやいや、なんやこれ。なんやこれ。ちょっと待てや。どんだけ美化されてん」


てか色々ばれとったんかい。むっちゃ恥ずかしいわ。

頭を抱えて、悶える雪華。


「...とかなんとか、色々ぐるぐる考えとったんやけどの。......ふと、唐突にあの子の問いかけを思い出してん。「雪がとけたらなんになる」ってな?」






なるほど、そういうことかえ。


――――答えは、水や。しょっぱい水や。......まったく、人間にはかなわんのお。




はー、ほんまあかんて。



そうぼやく、少し頬を染めた彼女。



彼女が手にした器に映るのは、美しい満月。


それが、小さく跳ねた。

――――まるで、水滴でも落ちたかのように。




星の観測者 あでりー
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