14話 「それがまるで呪いのような恋であろうとも」
―――すっかり、話し込んでしまったな。
「こうして一人ひとり、お顔を見て、思い出していくだけで心が温かくなりますね」
ほっこり、という顔をした彼女。
その表情に、うっすらと潤んだ瞳に。
懐かしさと、暖かさに。
このアルバムを持ってきて―――
―――いや、命を賭けてでも守り通して、本当によかったなと思う。
とはいえ、アルバムももう、残りのページは―――。
「やっぱり、さいごは?」
あぁ。
そうだな。
真打ち登場、というやつだ。
―――――「昔話をしよう」
そんなテーマで、皆が遅くまで語り続けた夜があった。
―――暖かな、しかしどこか物悲しい思い出があった。
―――辛く、想像を絶する苦難があった。
―――しかし、未来があった。
そして。
希望があった。
「―――――――さあ、ではご清聴あれ!今宵始まるのは俺の昔語り―――!
悪いが、何者の介入も許さん!篤と耳を傾けて頂こう!」
喩え―――それが神であろうとも!

キン、と。
まるで空気が張り詰めたように。まるで全てを拒む様に。
怜悧な空気が、辺りを満たした。
やんややんや、と各々好きに騒いでいた酒場の住人たちが、一斉に口を噤む。
高らかに謳い上げたのは、白髪青眼の美青年。
―――――我らが酒場の『主人公役』。
張り詰めた空気に似つかわしくなく、いつも通り、泰然としたふてぶてしい表情。
しかし、その赤い瞳には覚悟の色が揺れていた。
「...そうか。決めたのか」
思わず、口に出して呟いてしまう。
囁くように口にした言葉は、掠れた様に溶けて消えた。
誰も口を開くことが出来ない。
誰にも口を挟ませない。
そうした、無言の圧力が酒場を満たしていた。
そんな中、しかし口を開くことができた彼女は、「その覚悟」をその瞳に見たからこそ、
敢えて口を開いたのだろう。
「......ちゃぁんと、話してくれるんやろな?」
昔話に耳を傾けながら、極東の米酒をちびちびとやっていた雪華が、くるり、とカウンターの席を翻し、それまでの穏やかな表情から一転して眦を吊り上げ彼を睨みつける。
まったく、気のいいお姉さんは、彼女のことになると本当に過保護なのだから。
いや、この酒場の全員がそうだと断言してもよいのではないだろうか。
とはいえ、雪華としては、これは確認であり、誓約を求める意味合いもあるのだろう。
そろそろ真実を話してもらうぞ、と。
「安心しろ、雪華殿。全て話すさ。今日は『そういうつもり』で皆を集めたのだ」
それだけの力を真正面から受け止めた彼は、ふてぶてしい表情を崩すことなく言い切った。
覚悟を固めるために、敢えて集めた、ということだろう。
「また適当なところではぐらかしたりしたら...どうなるか分かっとるやろな?」
ぴり、と空気に罅が入ったかのように、音が鳴った。
普段はにこにこと大らかな女性が怒ると怖い、ということをまさに今体現している雪華殿。
その怒気は、やはり鬼のそれだ。
まるで、荒ぶる神そのものに近しいと、私でも思ってしまうほどの。
まともにその怒りの余波を受けたのか、先程まで私の隣に座っていたポノがそっと逃げ出し、隅っこでちょっと震えている。おい、同じ鬼だろう。私を置いていくな。
「だから、『悪魔の結界』を張った」
しかし、睨みつけられた本人は、涼しい顔をして腕を組んで答えた。
確かに、目を凝らしてみると結界の類が張られていることが分かる。
先程の空気はそれが原因であると見て間違いがないだろう。
「ん?ちょいまち、それって...」
何かに思い当たったのか、雪華が怪訝な表情を浮かべる。
一瞬、怒気が、圧力が緩む。
「そうだ。悪魔の結界。この結界の中に在っては、俺は『嘘をつくことができない』」
「...また珍しいものを持ち出してきたな」
思わず、反応してしまう。
本当に、こんな結界は随分と久しぶりに見た。
「本当に大丈夫なんかいな?あでりーはん、そこんところどうなん?」
「安心してくれ、雪華殿。結界はちゃんと機能している。...そこは私が保証しよう」
これは間違いない話だ。
過去にルシファーが私と本気で話をするときに見せた物とほど近い。
それほどの覚悟を持って構成された結界だ。
―――それほどの祈りで構築された結界だ。
「あでりー嬢、助かる」
「ほーん?せやったら、ま、話を聞かせてもらおか」
「さて、すまんがあでりー嬢。皆に酒とつまみと頼めるか」
いつもであれば、「私は店員ではないのだがなぁ」などと口にする場面ではあるが。
あれほどの覚悟を見せられれば、そんなことを口にする気にはならない。
溜息を一つ。
「はぁ、分かった。だがオーダーは受けんぞ。適当に作って配るから、静かにしていろよ」
はーい、と皆が精一杯明るく返事をする。
こういう時は本当に団結する連中である。
「あでりー。俺も手伝う」
私が席を立つと、黎が近づいてきて手伝いを申し出てくれた。
「あぁ、すまんな黎殿。この人数分を用意するのは少々手間がかかるから、助かる。ではさっさと作ってくるとしよう。聞き逃さんようにな」
厨房の、できるだけ会話が聞こえる位置に二人で陣取り、無心に食材の処理をしていく。
人数が多い分、手早くやらなければならない。
私も、ちゃんと聴きたいことであるし、な。
『さて、まずは俺の真名から明かす必要があるか?俺は―――』
彼の語りが始まった。
少し、距離を隔てているため聞き取りづらい部分はあるが、それでも彼がこちらに配慮して声を張ってくれていることが感じ取れる。
本当に、あれで気を遣う男だ。
「なあ、あでりー」
酒場で語り出したヴォルグの話に耳を傾けていると、ぽつり、と黎が呟いた。
「何だ」
「ヴォルグの...その、覚悟なんだが」
手を止めて彼を見れば、その目は不安の色に揺れていた。
あぁ、流石死神。勘付いていたか。
「......ああ」
「やっぱり、あれだよな」
「分かっている。......私は、男の覚悟に水を差す程、野暮な女ではないぞ」
「...そうか、そうだよな」
そうさ。この結界は、
―――誓約の強制。
それも嘘が口にできなくなる、等という生易しいものではない。
誓約を違えれば、存在が消失する。
―――命を落とす。
そういった類のものなのだから。
「雪華殿とて、そのくらいのことは分かっているだろうよ」
「...だよなぁ。鬼の姉さん、『いい女』だしなぁ」
「くく、言うようになったじゃないか、恋愛思春期」
だが、まったくもって同感だ。
「おい、やめてくれよ。結構効くんだぞ、それ...」
少し恥ずかしそうに、服の袖で顔を擦る黎。
一時期は凄かったものな。なんというか、思春期が。
「ま、さっさと片づけて合流しようか」
「そうしよう」
「故に俺の悪魔としての性質は、「憎悪」に由来する」
「...へえ、意外だな」
たくさんのグラスを両手のトレイに乗せ、器用に頭にまでトレイを載せて厨房が出てきた黎が呟いた。
「黎殿も知っているだろう。俺は基本的に他人には怒らんからな」
――――――何せ、その感情を封印されているのだから。
「封印...?どういうこっちゃ」
皆の前で語る悪魔。正面に座る鬼。
いやはや、すごい絵面だな。
...他の面々は静かに聴いている。
その間を、私と黎の二人で食事と酒を配って回る。
食器の音を立てるのさえ、憚られるような雰囲気。
念のため、冷めても問題のない料理ばかりにしたが、これは恐らくこの話が終わるまで、皆せいぜい酒ぐらいしか手を付けられんだろうな。
さて、では我々も話に混ざるとしようか。
「俺は本来、病弱なだけの普通の子供だった。
ただ、人より青白い顔をしていただけ。
ただ、人より傷の治りが速かっただけ」
「そういう人間がいるのか?」
「実際にいるのだぞ?そういう人間は。前者は赤血球の不足、後者は血小板の過剰で説明がつく。
だが、どうしても当時の医学では説明できんことがあった。
...魔力が異常に多かったのだ」
「魔力ですか?」
「これに関しても、今の時代なら仮説は立てられる。胎内での環境要因、遺伝子変異、ミトラの部分異常...」
彼は指折り数えていく。
幾つかは心当たりがある話だ。
今では、むしろそれは祝福されるべき事だが―――。
「だが、当時の人々を怯えさせるには充分だった。...俺は当然のようにこう呼ばれた。」
――――「悪魔の子」とな。
皆が息を飲む。
「さて、ここで両親に人の心があれば「それでもあなたは私たちの息子よ」と美談になったりもするのだが」
だが、そう。
「...ならなかったんだ。むしろ逆だった。
...俺の父親は...あー、まあ、なかなかにいかれた御仁でな。
奴は俺を「本物の」悪魔にしようとしたのだよ 」
「親が、自分の息子を!?どういうこっちゃ!」
あれだけヴォルグを睨んでいた雪華が、義憤に滾る。
周りで静かに聞いていた連中も、口々に「そんな!」「なんてことを...」と呟いている。
あぁ、そうだろうな。
ここの連中からすれば、それは許されない所業だ。
「おおかた力を手に入れて、隣国に戦でもふっかけるつもりだったのだろう。
奴は俺を「サタン」の器にするべく、様々な調教を繰り返した」
人を悪魔に変えるには、「罪」の情に染めるのが手っ取り早い、と彼は語る。
七つの大罪。強欲、色欲、嫉妬...。
誰かが言葉を引継ぎ、数え上げていく。
「そう、その7つだ。俺の場合は「憤怒、憎悪」。あらゆるものに対する怒り、憎しみだな。
その感情が強ければ強いほど、強力な悪魔になる、と。
少なくとも、父上はそうお考えだったのだ。」
「まあ、そこから先は想像に任せる。あまりおおっぴらにしたい話でもないからな」
ありったけの苦痛を与えられ、他者を憎むように仕向けられた。
地下に監禁されてからというもの、続く暴力、罵声、拷問......本物の悪魔も泣いて逃げ出す日々。
一体、どれほどの過酷を味わってきたのか。
一同は、想像を絶する「それ」を想像し、身を震わせる。
「一応、成果はあったぞ?
俺の姿は、徐々に変わりつつあった。
まず角が生えた。牙が伸び、爪も伸びた。暗闇でも目が見えるようになった。
俺は確実に「人では無いもの」になりかけていた」
「それは、もはや呪いなのでは...」
誰かの呆然とした呟き。
その通り、とヴォルグは頷く。
「だが、そんな苦痛の日々はあっけなく終わりを迎える」
―――息子を案ずるあまり心を病んだ母が、その息子もろとも屋敷に火を放ったことによって。
がたり、という椅子が動く音が聞こえた。
何人かが立ち上がってしまったのだろう。まったく、人のいい奴らだ。
「あでりー、お前も」
配膳が終わり、隣に腰掛けた黎が震える声で手にしたグラスを指し示す。
「何?......あぁ、少し力が入っていたか」
私が手にしていたロックグラスは、うっすらと罅が入っていた
やれやれ、私もまだ若いな。あとで買い換える分の金を置いておかねばなるまい。
私たちの動揺をよそに、悪魔は続ける。
朗々と。
「しかも強力な魔封じの呪文つきだぞ?
あらかた息子の中の悪魔を封じ込める魂胆だったのだろうが...俺はもう、悪魔そのものになりかけていたからなあ。
そのまま雁字搦めにされて幾百年、というわけだ」
それで封印されていた、というわけだ。
「さて、ここからは話した通りだな」
「ある日、とあるタヌキが屋敷に迷い込んできた。
絶賛イライラしていた俺は奴に声を送ってな。こう、地下に招いて食ってやろうと思ったのだよ」
「食...っ!?」
「えっ、食べちゃったんですか!?」
思わず、声を上げる面々。
しかし、思い出したのだろう。「そうはならなかった」ことを。
しかし、結果はご存知の通りだ。
「あいつは俺を見て、こう言ったのだ」
―――あなた、とっても顔色が悪いわ。あなたが元気になって、いつかお外で遊べますように。
「俺に課せられた封印は、「悪魔」としてのものだ。
俺を「具合の悪そうな人間」としてしか見ていなかったあいつには、まるで効果が無かったのさ」
「そうか、そういうことか...」
「......それからの日々は、なかなかに充実していたぞ?
奴は屋敷に遊びに来るようになった。少しずつだが、会話もするようになった。
俺はもっぱら聞き役だったがな」
―――人間もそんなに捨てたもんじゃないですよ。
「奴の口癖だった。」
語り疲れたのか、口を湿らそうとしたヴォルグは、手にしていたグラスを口元まで運ぶ。
もう、中身のないグラスを。
「...おや、もうなかったのか。っと、おや」
ひょい、と後ろからグラスを抜き取り、新しいグラスを持たせてやる。
こういう時、少しだけ。
未来が見えていてよかったと思う。
―――奴は、俺に色々な話を語って聞かせた。
街でのこと、村でのこと。山から眺める人間達の営みのこと。
あまり人間に絶望するな。と、奴は言った。
悪い人もいるかもしれない。けれど、それ以上に貴方を愛してくれる人に、きっと出会えるはずだから、と。
「......初めてだった。そんな言葉をかけられたのは」
「...友人になれると思った」
「...傍にいられると思った」
ぽつり、ぽつり。
雨が滴り始めるように、言葉が紡がれる。
もし叶うなら、それ以上にも。
悪魔は語る。幸せな、有り得たかもしれない未来を。
―――俺の爪や牙は、確かに、徐々に短くなり始めていた。
「だが、ここでまた邪魔が入った。...当の「人間」どもだ」
「ホワイトテイルの毛皮が当時、どれほど高値で取り引きされたか知っているか?
その髪は?爪は?...その血は?」
ぎりり、と強く唇を噛み、彼は言葉を紡ぐ。
それこそ、それこそ血を吐くように。
ふり絞るように。
口の端から血が滴る。
「おい、まさか...嘘やろ、ティポちゃんを」
「気づいた時には遅かった。駆けつけた俺の目に飛び込んできたのは、ボロ雑巾のように横たわるあいつの姿だった」
...結局、人は、己の利益のためなら悪魔のような所業も平気で犯す。
他者の尊厳など、ボロクズのように踏みにじってしまえるのだ。
忘れかけていた憎悪が蘇った。
薄れていた魔力が溢れ出した。
もう限界だった。
悔しそうに。悔しそうに。
封印されているはずの憎悪を、まるで自分に向けるように。
まるで、神に懺悔するように。
「心が黒く塗りつぶされていくのを感じた。
いよいよ本物の悪魔に変わり果てるかという、その時だった。
あいつが薄く目を開けて、言ったのだ」
―――ヴォルグ。もういいよ。もういいの。
どうか人を憎まないで。悪魔になんてならないで。
―――あなたの怒りや悲しみは、わたしが全部持っていくから。
ひゅっ、と。
息を飲む音が聞こえた。
「...奴は残った力の全てと引き換えに、俺に術を施した」
憎悪が消えるように、誰も呪わなくて済むように...最後の「おまじない」を。
「だが...所詮は善意の愚かな生き物だな。あいつはひとつ見落とした」
その憎悪を。
その無念を。
皮肉という布に包む様に。
無理やり口角を上げ、牙を見せるように。
「あいつは俺の中から「他者への憎しみ」を消し去った。
俺の魔力の根源は憎悪だ。それが無くなれば俺の力も消える。
だが、俺は消えなかった。俺の怒りは収まらなかった」
...何故だと思う?
誰も答えない。
答えることが、できない。
「簡単さ。俺には何より憎むべきものが、もうひとつあったのだ」
―――――――それは、他でもない。

自分だよ。
憎悪を起源とする悪魔は語る。
それは自分でしか、ありえないと。
あんなちっぽけな生き物すら守れない自分を。他者に奪われ、蹂躙されるだけの自分を。あまりにも脆弱で非力な自分を。
何よりも憎んだのだと。
「俺は血塗れの亡骸を抱いたまま、夢中で床に陣を描いた。
許せなかった。こんな終わりは許せなかった。断じて認める訳には行かなかった。
かつてないほどの衝動が、俺を突き動かした」
「...あとは知っての通りだ。
俺は完全なる悪魔として覚醒し、奴は不完全な生命体として蘇った。そこから今に至る」
「ヴォルグ君...」
「これでいいんだ」
憎しみが続く限り、魔力は満たされ続ける。
彼女の体は動き続ける。
己を許す事ができない。
千年経とうとこの思いは消えない。
故に。
故に今日も憎むのだ。
契約なんて代物ではない。
―――――――――――――「これは俺の「罪」そのものだ」

そういえば覚えているか?
いつだったか、ヴォルグ殿がティポ殿に訊いただろう?『貴様は今、幸せか?』と。
「あぁ、もちろん覚えているのです。ええと、『こんなちっぽけな酒場で、王宮でも楽園でもない、この場所で』でしたね」
そうそう。
それで、答えは――――
「「わたしは、ずっと幸せですよ」」
だな。
「ですね」