或いは屋根裏部屋の悪だくみ
―――舞台裏、というのもまた、一つの物語。
―――此処、エドルには少々変わった酒場がある。
中央広場から少し外れた路地を折れて、さらにその奥へと進んだ、その先に。
その酒場は存在する。
狭い路地は人通りがほとんどなく、生活道路として利用される程度。
そんな路地に、ひっそりと看板を掲げている酒場があった。
細い路地にぽつんと存在する酒場...と聞けば、恐らく大半の人間が、常連客数名がいるだけの、小さな小料理屋をイメージするかもしれない。
しかし、宿屋を兼ねたその建物自体は、外見から想像するよりも遥かに広い。
入り口を潜れば、広々としたホールがある。人気のない路地に面しているにもかかわらず、優に30人を超える客を収容できるだけの広さがある。
ホールには一段高くなっている場所が存在し、酒場にはあまり似つかわしくない、高級なグランドピアノが鎮座しており、ステージの様相を呈している。その奥の壁に、弦楽器から管楽器、打楽器にいたるまで、様々な楽器が吊るされていたり、並べられている。
しかし、ここはコンサートホールや楽器店でもなく、生演奏を売りにする、というわけでもなければ、流しの吟遊詩人がやってくるわけでもない。
ただ、酒場の客たちの気が向いたときに演奏する程度である。にも拘わらず、この楽器類の無闇な充実ぶりというのもまた、この酒場をおかしな場所だと評する一因となっていると言えるだろう。
さて、酒場と言えば、大抵は宿屋とセットになっているという印象を持っているものも多いと思うが、この酒場も御多分に漏れず、二階は宿屋として利用されている。
一室一室は大した広さではないものの、清掃が行き届き、また備品類も充実した客室が立ち並ぶ。
店主の趣味なのか、やたらとブラシ類に種類があるのはご愛嬌といったところか。
比較的安価と言える程度の追加料金さえ払えば、店主こだわりの朝食や夕食が提供されるというのも、嬉しいポイントだろう。ただ一点、『時折怪奇現象が起きる』という点を除けば、一泊食事付きの料金としては破格といっても良い。
―――そんな、不思議な宿屋の中。
今なぜか最も人が集まっていたのが、屋根裏部屋である。
この屋根裏部屋、元々は誰が使うでもなく、ただ存在するだけの部屋だった。
しばらく使うことのない荷物を詰めた木箱や、ストック類が多少積まれている程度の、ごくごく一般的な屋根裏部屋。せいぜい、建物の規模のおかげで案外広い、という程度しか、特筆すべき点もない。
そんな屋根裏部屋にクッションを持ち込み、休憩に利用している、と言い出したのは、一体誰の言葉だったか。
その言葉をきっかけに、やれ椅子だ、やれソファーだと酒場の面々がどこからか調達してきては勝手に持ち込み、並べた木箱の上に天板を置いたりしはじめた結果、気がつけば広々としたラウンジのようになっていたのである。
その屋根裏部屋に、現在、十六人もの人間が集まっていた。
いくら広めのスペースがある、とは言っても、屋根裏は屋根裏。直射日光が強い日は茹るような暑さになるし、湿度も比較的高い。換気のために取り付けられている小さな窓が、唯一の救いだ。
しかし、それを上回るような熱気が、屋根裏部屋を支配していた。
十六名も集まっていれば、それだけで騒ぎになる。普通であれば、そうだっただろう。
しかし、ここ数週間ほどは、騒ぐ者はせいぜい二人。あるいは、三、四人。
―――その理由は、彼らが今取り組んでいる活動にあった。
「改稿完了。全体で整合性を取って、誤字脱字は粗方排除したと思う」
占い師の恰好をした女性―――アデリーナが、机の上に広げていた用紙に書き込みを済ませると、ばさばさとかき集め、纏めていく。
「挿絵三枚上がったわよ。確認お願い」
目を閉じた猫の少女、エイミーナが、イラストの描かれた紙を突き出して言った。
アデリーナはそれを受け取り、確認していく。
「――――――うむ、完璧だ。流石だな」
彼女がそう言えば、エイミーナはほっとした表情をして、またすぐに顔を引き締めた。
盲目の彼女だったが、昔取った杵柄、という奴だろうか。見えない中でも、アデリーナの書き上げた物語を朗読してもらうことで記憶し、その情景を描き出すという荒業でもってイラストを仕上げていた。
「よかった。じゃ、最後の一枚に取り掛かるわね?」
「頼んだ」
「レイアウトはどう?」
「ヴォルグ殿、チェック頼む。レイアウトは概ね組めているな。頁数が規定数量を軽く超えていきそうだが...詰めるか?」
「それはやめておきましょう?あたし、占い師さんの物語はそのまま使いたいの」
「承った。...それには俺も同意する。あでりー嬢の描く独特の間を損なうような真似はしたくない」
「コストに跳ね返るが?」
「そこは俺がなんとかする。気にせず続けてくれ」
「承知した。ではこのまま続行させてもらおう」
―――そう、創作活動。
このたび、この酒場の面々が挑戦していたのは、「思い出の本」を作ることだった。
屋根裏に集まった十六人は、特にこの酒場と縁の深い十六人だ。彼らは、この酒場を、そして皆との出会いを齎してくれた店長代理のあの少女に、何か恩返しをしたいと考えた。
その結果が、本づくり。
当初は思い出のアルバムでも作るか、という計画だったのだが、「イラスト描けるわ」「文章なら多少ならば」と名乗り出た者がいたため――――ではいっそのこと、物語として書籍化してしまおう。などという、飲み屋に居座っている連中がやることとは到底思えないような計画がスタートしたのである。
その結果として。
絵師と作家が膨大な熱量で突っ走り始めたのである。
創作活動が始まってからというものの、邪魔をしてはいけないとの思いからか、屋根裏部屋の面々の口数が減った。
代わりに、打ち合わせやアイディア出しなど、制作に携わる者の口数が一気に増えることになった。
それが、前述の「喋るものが数名」という事態を招いている、というわけである。
「レイアウト完了した。あとがき、奥付も入れた...よし、OKだ。最終チェックに入る」
「こっちはあと仕上げだけよ。あともう少しだけ待ってね?」
「装丁は?」
「そっちはもう出来ているわ。一緒に確認お願いね?」
「承知した。箔押しの色は?いっそシルバーで淡くいくか、黒ではっきりとコントラストを出すか、というところでイメージしていたのだが」
「そうねえ、あたしはダークゴールドか、アメジストがいいんじゃないかと思うわ。これ、色見本だから選んでくれる?」
「む。そう言われると...なるほど、アメジストはこんな色か。これなら良いのではないか?」
「じゃあそれでいきましょう?」
「だそうだ、ヴォルグ殿。メモよろしく」
「ああ。...しかしさくさくと決まるな。絵師と作家というのも、凄いものだな」
「私のは手習い程度だがな」
「あでりー嬢の手習い、ほど当てにならんものはないと俺は思っているが」
「手厳しいな」
そして再び舞い降りる、沈黙の天使。
皆、完成を今か今かと、手に汗を握って待っている。
かりかり、がりがりと。
ひたすら紙に書き込む、ペンの走る音だけが響いていた。
途中、勢いよく書き込んでいたためだろうか。
何本かのペン先が破損し、都度取り換えながらも作業は続いていく。
不意に、エイミーナの手が止まった。
「――――終わったわよ」
机にそっとペンを転がし、彼女はヴォルグに最後の一枚を差し出した。
ああ、お疲れだ。あとは任せてくれ。
ヴォルグが、受け取ったイラストを大切に封筒へと仕舞い込んだ。
「後は占い師さん、お願いね...あたしはちょっと、寝るわ...」
くぁ、と。
彼女にしては実に珍しく、人前で猫のようなあくびをして、クッションへと倒れこんだ。
そして、すぐに聞こえてくる、小さな寝息。
ここのところ、相当な無茶を己に課していた彼女は、完成と同時に限界を迎えたらしい。
「まったく、見えていないのにこんな作品を上げてこられたら、世の画家どもが泣くぞ」
ヴォルグがそっとため息をつき、彼女に毛布を掛けた。
「―――こちらも上がった。これで校了だ」
ペンを放り投げるように置き、椅子から立ち上がって伸びをするアデリーナ。肩を回し、腰を伸ばしたりとしていた彼女だが、一息つくとすぐに書類をまとめ始める。
最後に、とんとんと机でたたき、角を合わせてからヴォルグへと手渡した。
「後は任せる。我々の子供...みたいなものだ。くれぐれもなくしたりしてくれるなよ?」
「責任を持って預かろう」
アデリーナの手からヴォルグの手に、原稿が渡る。都合四百頁を軽く超える、大作だ。
ずしり、と重たい手ごたえに、ヴォルグは口の端を歪めて笑う。
「...いや、本当に愛されていることだな、あいつも」
その呟きを拾ったアデリーナは笑う。
「そうだろうさ。我々が、無茶をしてもいいと思える程度には、な」
さて、私は...と、小さくつぶやいた彼女は、ふらふらとソファーへと歩いていく。
腰かけていたコハクが慌てて立ち上がり、無駄にかしこまった動作で「温めておきました!」などと言い出すものだから、皆が笑う。
「コハク殿の尻で温められていたと考えると、ここで眠るのは何かこう、ぞっとしないな」
「酷くないっすか!?」
「ま、いいさ...もう眠い。私は寝るぞ。後は―――手筈通りに頼んだ」
言いながら、ぽすんとソファーに倒れこんだアデリーナは、すぐに寝息を立て始めた。
それを見届けると、屋根裏部屋に小さな拍手が響いた。
お疲れ様。
お疲れだ。
お疲れ様です。
皆が、倒れるまで突っ走り、本当にこの短期間で本を作り上げてしまった二人へ、拍手を送った。
「...さて、俺は印刷所に原稿を届けてくる。お前たちは、お前たちでやることがあるだろう、頼んだぞ?」
ヴォルグが、封筒を抱えてにやりと笑った。
「うむ。ここまでして頂いたのだ。製本、そして二人が起きるまでの時間稼ぎは我々が完全に全うして見せるとも」
ロンが、にやりと笑い返す。
「任せたぞ。では行ってくる」
しばらくの時が過ぎた。
屋根裏部屋には、倒れた二人だけが取り残されている。
その片割れが、むくりと目を覚まして起き上がった。
「ん...今、何時だ...」
アデリーナであった。神の呪い、とでもいえばいいのか。状態が固定された存在であるところの彼女は、疲弊しても自動で身体の修復が行われる。彼女にとっては呪いであり、祝福。故に、短時間の睡眠で目を覚ますことができた。
「あぁ...頭痛がする。もう少し寝ていたいところではあるが...」
ちらり、と屋根裏部屋の壁に掛けられた時計に目をやる。
時間は、すでに作戦が始まっている時間だった。
「そろそろ私たちも動くとするか...」
ふらふら、と覚束ない足取りで、クッションに丸まって眠るエイミーナに近づき、揺する。
「アミ嬢。そろそろ時間だ。起きてくれ」
「............ヤ。」
「参ったな...ほら、もう時間になるぞ?演出のキーパーソンがいつまでも寝ていては恰好が付かんだろう?」
「......んー......もうちょっと......」
やだ、と端的に意思を表明してむずがる彼女に、困った顔をするアデリーナ。
気持ちはよくわかる。私とて、自動再生がなければまだ寝ていたかもしれないのだから。
「仕方ない、か...」
ぱちん、と自分の頬を張ると、魔力を練り上げ始める。とはいえ、魔法で起こしてやろうと考えたわけではない。
「絶対に明日は筋肉痛だろうなぁ...」
やれやれ、と苦笑すると、彼女はその細い腕でエイミーナを抱き上げ、そのまま酒場を後にした。
「......ん、あら?占い師さん?」
「ようやく起きてくれたか」
パーティー会場近くまで歩いてきたころ、エイミーナがようやく目を覚ました。
「あら?あらあら?私、抱っこされているのかしら」
「そうだぞ。お寝坊さんがどうしても起きたくないというから、強引に攫わせてもらった」
「くすくす、まるで王子様みたいなことをするのね?」
「私では役者が足りん。せいぜい、悪い魔女あたりに攫われたとでも思っておけ」
ため息交じりにそういえば、彼女はころころとおかしそうに喉を鳴らした。
「さて、お目覚めならあと少しくらいは歩いてくれるか?」
「え?このまま連れて行ってくれるのでしょう、悪い魔女さん?」
「勘弁してくれ、もう腕が限界なのだ」
「あらあら。しょうがないわねえ...」
楽しそうに笑うと、彼女はひらりとアデリーナの腕から降りた。
尻尾は、ご機嫌な様子を示すようにゆっくりと大きく揺れていた。
しばらく、すっかり暗くなったパーティ会場への道のりを、二人して歩く。
この後、二人には一仕事が残っている。それこそが、今回の「悪だくみ」の成否を握っていると言ってもいい、ちょっとしたサプライズ。ささやかだが、それはそれはとても大がかりな「悪だくみ」。
そのためには、まずはターゲットの様子を確認しておかねばならないのだ。
「...やってるわね?」
「うむ。実に楽しそうで何よりだ。それよりも、気付かれんでくれよ?」
「あらあら、知らないのかしら?猫は気配を消すのがうまいのよ?」
「知っているから爪を立てないでくれ。微妙に痛い」
王宮のダンスホール、その窓の下に張り付いた二人は、息を殺して中を伺っていた。
二人の視線の先にいるのは、一人の少女。
ふかふかの尻尾が魅力的な、たぬきの少女の笑顔だった。
その笑顔を確認した二人は、そっと窓辺から離れていく。
――――――――さて、最後の仕込みと行こうか。
『連絡、連絡なのですー。ダンスパーティは無事にしゅーりょーしましたのですー』
酒場の前の路地で待機していたアデリーナが腰にぶら下げていた通信機から声が発せられた。
ざざ、という若干のノイズの後に通信機から発せられた声は、どこか舌足らずな狼族の少女のものだった。
「ディーテ嬢か。お疲れ様だ。ターゲットはちゃんと帰路に就いたか?」
『こちらディーテなのですー。ええと、ちゃんと酒場に帰っていきましたのです。こちらは、みんなで後片付けのお手伝いをするので、先に帰ってごはんの準備をおねがいします、とお伝えしましたー』
「なるほど、了解した。以後、アミ嬢の通信機からの中継放送が入る。会話ができなくてすまんが、この「悪だくみ」の結末をどうか皆で楽しんでほしい」
『はいなのです!お二人とも、とっても頑張っていたのですから、きっと成功するのです!』
「はは、ありがとう。では通信を終了する」
そう言って、アデリーナは通信を切ると、受信専門に切り替える。
そろそろ、始まる頃合いだった。
『―――あら、マスターさん。こんばんは、いい夜ね?』
さあ、お澄まし猫の本領発揮だ。
―――――――――――――。
そして、二人の回想が終わった。
『ねえマスターさん。私お腹が空いちゃったわ?何か食べたいわ』
『――――――――――――。』
『あらあら、それは楽しみねえ』
『――――――――――――。』
いよいよ、この長い悪だくみもフィナーレだ。
そして、酒場のドアがゆっくりと開いた。
私は傾けていたグラスを置き、声を掛ける。
「――――やあ、ティポ殿」
『――――!』
驚いたような顔。
ここのところ酒場に顔を出すどころではなかったので、随分と久しぶりに顔を合わせたような気がする。
「こんばんは。誰も帰ってこんから、先に一杯始めさせて貰っていたぞ?」
グラスを振って笑ってやる。
『――――――――――?』
「ああ、そうしたいところなんだがな...」
『......?』
「実は、ティポ殿のために用意したお土産があってな」
くすくす、と。
エイミーナがティポの後ろで笑う。
「―――――――――さぁて、そろそろ届く頃間だぞ?なぁ、そうだろ?」
一瞬の遅刻も許されない、そんな状況。
普通であれば、そんな無茶な計画は立てない。
―――――だが。
ばん、と大きな音を立てて、ドアが開け放たれる。
態々未来を覗きに行くまでもない。
合図を送るまでもない。
彼は、そもそも「そういう風」になっている。
最高のタイミングで、やってくる。
―――――彼が、飛び込んでくる。
愛しのお姫様のもとに、馳せ参じる。
―――――『とっておきのプレゼント』を手にした、かわいいナイトが、な。
おしまい。